時の流れから降りし場所【2014.07 山上ヶ岳・稲村ヶ岳】
前日の夜、レンタカーを借りて大阪を出発する。目的地は奈良県天川村だ。夜道の運転、光のない真っ暗な道を、鹿の飛び出しに注意しながら進んでいく。ふと車を止め、ライトを消すと、吉野杉の林の合間から満天の星空が顔を覗かせていた。その場には僕一人。冷たい空気が肺に一際染みこんでいく。良い登山になりそうだ。
山上ヶ岳というのは、日本でも類をみない女人禁制の山である。かつては富士山や立山などの修験道の山々はみな女人禁制であったが、戦後のGHQの施策により、軒並み廃止されていった。そんななか、現代で唯一残っているのが山上ヶ岳である。
大峰奥駈道の一部である山上ヶ岳は、大峰信仰の根本道場であり、山頂にはその象徴として大峰山寺とその宿坊が連なる。標高1700mに聳える一大聖地だ。熊野古道も含んだ世界遺産「紀伊山地の霊場とその参詣道」、その意義を考えると、女人禁制を保持しながら育まれてきた信仰を世界遺産として認定したのは極めて異例といえる。それだけ文化的景観としての価値が高いということなのだろう。
女性の権利をないがしろにしている面もあり、いまでも多分に揉めているが、誰もが自由に行き来できるようになる日は近いだろう。文化・信仰と人権、どちらが勝つのかは明白である。
朝の四時、女人結界を潜り、山上ヶ岳に足を踏み入れる。まだ何者も動き出していないような静寂の中、カラスの鳴き声だけが山に響き渡る。山の端の向こうにうっすらと夜明けが滲み出ている。
水に恵まれた山域は、人間にとっても植物にとっても大きな恩恵を与えてきた。山のあちこちから水の流れる音、岩に当たるしぶき音、したたる滴の音、あらゆる水音が豊かな音色を奏でる。参詣者はそれらを手のひらに掬いとり、乾いた口へと運ぶ。軟らかい味。水場の少ない大峰奥駈道の中ではオアシスのような場所だ。
途中、下山する参詣者とすれ違う。「ようお参りです」という、この山独特の挨拶を交わす。もちろん、すれ違う人はみな男である。
茶屋の跡地も何カ所か残っているが、修験者が頻繁に行き交っていた往年の面影はなく、これもまたいつかは失われてしまう景色なのかもしれないと思いつつ、歩を進めていく。人や物は無くなっていくが、信仰は無くならないであろうから、この景色の本質的な部分は朽ちることなく世代を越えていくのだろうと、そう信じている。
道はいよいよ険しくなり、物々しい行場(修験道の修行の場)も増えてくる。雨雪の多い山域は、自然による風化作用が強く、大峰山脈の地質的特徴と相まって、行場になるような急峻な地形が形成されている。そこに標高の条件が重なって、シラビソやトウヒにとっては、標高の高いところが温暖化からの逃げ場となった。関西で唯一1700mを越える山脈を形成する大峰山脈には、それゆえ珍しい植生をみることができる(台高山脈も標高が高いため、同じく植生が豊かだ)。
自然も、文化も、信仰も、時の流れから降りたかのごとく、過去の姿をなんとかして現代に残している。それは感動的な景色でもあり、どこか寂しさを含んだ景色でもある。
ほら貝の音が響く山頂を後にし、稲村ヶ岳へと向かう。稲村ヶ岳は、大峰山脈からは1本外れた山であるため、女人結界からは外れている。大峰山脈からは一転、山肌も穏やかだ。
下山した後は、泥川温泉に浸かり、きょうの登山を振り返る。前夜の予感どおり、とても忘れがたい登山ができた。6年経った今でも、色褪せることがないほどに。