もし僕がシンギュラリティを起こすなら

シンギュラリティ

 2045年でしたっけ。AIの知能が人間のそれを超えてしまうと予想される日。その日のことをシンギュラリティと呼ぶらしいです。みなさんはこの日は来ると思いますか?それは良いことだと思いますか?はたまた悪いことでしょうか?

どちらにせよ2045年は必ずくる

 2045年に自分たちはどんな生活をしてるんでしょうか。50歳前後の自分は何をしてるかな。考えるのもめんどくさくなるくらい先ですね。でも、生きていれば確実に2045年は来ます。シンギュラリティが起こるか起こらないかわかりませんが、もしその日に起こるならば無関係とは言い切れない近い未来のことです。

 すでにAIは巷で活躍していて、無視することができない技術なのは間違いありません。そして今もなお大学や企業で研究と開発が繰り返されています。だから、この先AIがどう進化して人間とどう関わっていくのかを、我々は考えざるを得ません。

AIって敵なの?

 でも同時に、AIが仕事を奪って食べてけなくなるとか、AIが暴走して人間を攻撃するとか、そういう話も多く流れています。それを聞くと、「なんだかAIって怖いし嫌だな」とか、「ターミネーターやマトリックスみたいな暗い世界が来るのを待つしかないのかな」とか考えてしまいます。そして、それじゃその先、人間として生きる意味あるのかな、とさえ思ってしまいます。

AIと人間の今後の関係は開発者にかかっていると思う

 でも、僕はそんなことは起こらないと考えています。ちゃんというと、そんな世界がやってくるとは限らないと考えています。もちろん、その可能性はないとは言えないし、やろうと思えばいつかは凶悪なAIは作れてしまうでしょう。でも、これまでのコンピュータに関する技術は多くの人をより生きやすくしてくれたように、AIも人をより幸せにしてくれる存在になりえると思います。今私たちがコンピューターを安心して使えるのは、コンピューターを開発した人たちが使う人たちのことを常に考えてくれたからでしょう。

 つまりは、作る人次第で人類の未来は変わると思うんです。どれだけ人のことを考えてAIを作れるか。これはもう人類とAIにどれだけ愛情を持てるかっていう話かもしれません。

もし僕がシンギュラリティを起こすなら

 かっこつけて言うと、もし自分がそのシンギュラリティが起こりうる革新的な発明をするならば、誰かを不幸にさせるような悲しい未来を招きたくはないですし、人類にとってより生きやすい世界を築くための土台になるような発明にしたいです。(おそらくAI関係の研究者、開発者の方々も誰かを不幸にしようとは全く思っていないと思います!)

 こちらの記事では、シンギュラリティを語るにはまず知能が何たるかを定義する必要があると書かれています。僕も大学で人工知能について勉強したのがきっかけでこのようなテーマに関心があり、その答えを導きだして言語化したいな、と勝手に張り切っていたりします。(ちょっとずつnoteに書いていきたい...) 

 でもまあ、僕は博士でも研究者でもないので、僕が定義したところで学術的に正しい説明になるか分かりません。なので、これは研究というより趣味ですね笑

なんてね

 ということを、最近SFチックな映画を見て思ったという話でした笑 我が物顔で書いてしまった上、かなり幼稚な内容だったかもしれませんが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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