お金信者と神木
今日は「神木の話」をしようかなと思います。
神木って樹齢が大体500年とか、1000年とか、2000年とかっていう樹木のことを神木と言ったりします。
お盆期間中に、岡の宮の大クスっていう神木を見てきたんです。
これも素晴らしくて、高さが3。5mで樹齢が700年ほどと言われてます。
で、
ぼく自身、庭師ということもあって、そういう御神木とかを見に行ったりしてるんですけども、
まずこの夏休みというのにすごく人が少ないので、助かってます。
これだけの大きな御神木とかってなると、やっぱり何百年とある歴史の中で人間によって切られそうになってるっていうのがあったりします。
ここの700年の大きなクスノ木でも「船の材料にしたい」と言われたりしたけど、丁寧に交渉していき、やっぱり護神木ならば、船の材料には使わないので大事にしてください。みたいに現在まで残っていたりします。
当時では今と違ってやっぱり霊的なモノとかの信仰もあったと思います。
切ったりすると「呪われる!」とか「祟られる!」とか不幸な目にあうとかっていうのが、今よ強かったと思われる。
今だと科学の時代が進んでそういう霊的なモノ、何かわからない目に見えないけど確かにあるようなモノって価値が低く見積もられたりしている。
うちの静岡の近所でも400年の木を根っこから引っこ抜いたりした。
そういう工事をして、そこの土地は住宅地になっちゃってた。
物を言わない、こういう御神木とかっていうのは除去されちゃう。
お金を生み出さないので、経済優先になっちゃったりする。
皆さんの思想が経済優先で、お金主義。
お金信仰みたいになってしまって、こういう自然物っていうのを除去してお金を儲ける住宅だったり、駐車場だったりしちゃおうみたいな考えになってる。
明らかに、500年とか2000年とかっていうスパンで考えると、人間の意志が途中に割り込んできて、必ず除去されようとしたり、
ぶった切っちゃうみたいな考えに考えが来たりする。
でも、
そういう危機を許すことなく、護神木として活かして「残しておこう!」っていう考えってステキだと思います。
すごく素晴らしいなと思っています。
現代社会は、こうやって物を言わない自然的なモノの価値は低いと見積もられたりしちゃう。
でも、
価値が低いからって、それは素晴らしいものじゃないってことではないんです!
お金を生み出さないから、だからいいものじゃない。
っていうのは、それは一つの価値観であって、決してお金を生み出さないから悪いものだって、決めつけてはせまい。
全て、お金を生み出すものがいいものだっていう価値基準でいると本当にお金主義、
お金を神様だとしているような宗教心になってたりするんじゃないかなと思うんです。
なので、
今の時代においてこういう自然物が、ただそこにあるだけでいいんですよね。
こういった数百年や2000年経ってる樹木もそうなんですけど、
人間の手で作ることができないじゃないですか、どんなに腕の良い庭師でも、どんなにすごい大工さんでも、アインシュタインでも、
一年後に2000年の樹木を作ってくれって言ったら、とても作ることができない。
それほどの価値があると思ってるんですね。
こういった御神木とか、お金を生み出さないかもしれないけれども、
壮大な自然というものは、私たちの人生を豊かにするものと思っています。
というわけで
今日は「神木めぐりの旅」の話をしてみました。
お金を生み出さないものだからといって安易に自然を、僕たちの人生から排除してくって考えは、ちょっと違うんじゃないかなというお話でした。
それではまた!