そもそも「レビューサイトが信用できない」のは当たり前な件

こんばんは、日々名古屋の最新情報をお届けしているTwitterアカウント、おいでよ名古屋です。

今日もよろしくお願いします。


さて、今回も名古屋に限らず全国的に問題になっているお話。

「食べログ」などのレビューサイトが「信用できないのではないか」という議論がなされていると思うんですけど、正直ですね、学生の頃からインターネットの世界に触れている私が素直な感想を述べると

まだそんな議論の余地があるくらい、ネットリテラシーが備わっていない人がインターネットを利用しているんだなぁ

という感想しか生まれない。

まぁあくまで感想なんですけどね、そもそも

一体いつからレビューサイトが信用できると錯覚していた?

というのが今回のお話です。

大前提として、食べログというサービスが信用できないのではありません。これは普通に考えて信用する・信用しないの議論以前の話なんです。


そもそも食べログをはじめとするレビューサイトとは

飲食店などを利用したユーザーが、ある程度自由に飲食店を利用した感想を書き込む事ができるサービスで、書かれたレビューをユーザーは自由に読む事ができます。

食べログなどのレビューサイトを信じている方の意見では、お店側が発信する広告とは違い、ユーザーの生の声が見れる事から信頼して飲食店を選ぶ事ができるのが利点であり、主にそれがレビューサイトがめちゃめちゃ流行した理由です。

さて、ある程度自由にとは、どれくらいでしょうか?

「美味しくなかった」というコメントを書く行為そのものは、一個人の感想なので、そのユーザーの表現の自由という点で権利が保障される部分になります。これはもちろん大前提の部分です。

ですが、レビューサイト というものを運営しているのは企業です。

つまり、レビューを書く人と運営している母体が違うわけです。

で、「美味しくなかった」と書かれた飲食店が「コメントをした個人」に対して損害賠償の請求ができるかといえば、表現の自由が保障される「感想」ですのでそれは当然無理だと思うんですけど

「美味しくなかった」というコメントが、企業がお店に無断で作ったページに掲載されている事で売り上げが前月比で○○円下がった

という事実が生まれた時に、食べログなどのレビューサイトを運営している企業は営業妨害をしたと見なされてもおかしくないわけです。勝手に掲載してるわけですから。

「そもそも文句言われないようにすればいいだけ」という意見もあって、個人的にめちゃめちゃウケるんですけど、お店は商品を提供して、お客さんはお金を払う、この時点で対等な関係であるはずの「取引」なのに、例えば安い店に食べにいっておきながら「接客態度が悪い」って書く人とかね、その価格に接客代が含まれていない事がわかってないだけですし、味も主観でしかないのでそもそもこの時点でレビューサイトは信用できないんですよ。


で、普通に考えてそんな訴訟される可能性があるレビューを生かしておくメリットがレビューサイト側には全くないですよね。平穏に運営して、広告費だけゲットできるのが理想でしょうし、不必要な裁判は避けるのが普通だと思います。

なので、例えば食べログはそもそも批判的なレビューは運営側で非表示に設定されます。当然表現の自由が保障されるので、レビューを書いた人にお咎めはないですが、別に食べログ側はレビューを書いた人からお金をもらっているわけではないですし(レビュアーは認識上客ではないので)

自社が運営しているレビューサイト上でのレビューの選別こそ、表現の自由 で保障される範囲になってくると思うので、「自分が書いたレビューが勝手に下書きに入っている!」という謎のクレーム(笑)もあるらしいですが、運営側は極めて常識的な運営をしていると思います。


ここまで書いた事をざっくりまとめると、レビューサイトのレビューを運営側が勝手に非表示にするのも表現の自由であり、いざこざを避けるために悪評は消される。

つまり「表現の自由だから勝手に書いてええよ!」

「でもうちにも表現の自由があるから、勝手に非表示にするで!」

ってことですね。




それが本当ならレビューサイトの意味ないじゃん!



いやだから言ってるじゃないですか。

あなたたちが、勝手に意味があると思っていただけなんですよ。




で、このくらいの事も知らずにレビューサイトを妄信している方々がたくさんいるおかげで、レビューサイトの評価が高いと売り上げが上がる!という状態になってきたわけです。そこで生まれたのが「飲食コンサルタントが雇うサクラレビュアー」

飲食コンサルタント会社が1件1万円~ という値段で、食べログのレビューを買うわけです。当然お金を貰っている人は、高評価のレビューをしますよね。笑

もちろんお店が直接高評価レビューを知人にお願いする事だってできますし、何回でも書きますけどこれは食べログが悪いんじゃないんですよ。

そもそもレビューサイトが信頼できると思う事そのものが間違いなんです。

それを「食べログを信じていたのに闇レビューが~」とか

「自分が書いたコメントが消される~」とか文句言うなよっていうのが今回のお話。


だいたい無料のサービスに対して文句を言いすぎなんですよ。

レビューサイトにお金を払ったわけでもないのに、自分が「お客様」だとでも思ってるんでしょうか??

飲食店でお金を払ったから、レビューサイトやSNSに何を書いてもいいんでしょうか?

そもそもあなたが支払ったお金は、商品に対してのお金だけで

撮影許可も、掲載許可もとっていないのではないでしょうか?


・・と、以上の理由から私にはレビューサイトを妄信している方々が非常に滑稽に見えます。

意味も実態もないものを信じる、新興宗教みたいでね。

もちろん信じるのは自由です、信仰の自由というのもありますから。


批判的なレビューを書く人の心理


さて、ここからは私の考え方の話なので、強要するつもりもありませんが

そもそもレビューって、別に美味しくなかった~って感じたら、わざわざ書かなくてもいいと思うんですよ。私は。

だってそんな場所に、自分の限られた時間を使うのってすごくムダじゃないですか?

その分気に入った場所のレビューをしっかり書いて紹介した方が生産性もあると思いますし、誰も不幸にならないし、何より本当に美味しい所にはレビューがいっぱい!美味しくないお店にはレビューが全くつかなくなる・・という構図が出来上がるので、結果的に差が出ると思うんですよ。

でも「美味しくなかった」とか「接客が悪かった」とか書く人って、自分が正しい事をしているという意識があるのが厄介ですよね。

司馬遼太郎さんの言葉

「人間は 自分は絶対に正しいと思い込んだ時に 最も残酷な事をする」

の最たる例ではないでしょうか。


「他に被害に合う人が出ないために、自分が世に発信しなければ」という正義感(笑)から書くのか、「自分はこんな不幸な目にあった!」と世に知ってほしい承認欲求からくるのか、私は正直興味がありませんが・・それって結局自分が店選びに失敗した事実を公共の場で垂れ流しているだけですよね。それってめちゃめちゃダサくない?

だったら、自分が楽しく過ごせたお店だけを紹介している人の方が

お店にとってだけじゃなくて、お店選びの基準としての信頼性も高いんじゃないかなぁって、私はそう思うんです。




これからも私は、楽しく過ごした名古屋での日々をTwitterで紹介し続けます。

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