5月の短歌教室を終えて
「私のための短歌教室」を始めてから3ヶ月が経とうとしている。
3月:9回(済)
4月:14回(済)
5月:11回(済)
と、3ヶ月で34回も実施させていただくことができた。自慢ではあるがこれは本当に想定外の事態であり、ありがたいことだと思う。
生徒役を引き受けてくださったみなさん、いつもありがとうございます。みんなのおかげで、私は少しだけ胸が張れるようになってきましたよ。えっへん。
「こんなの大したことないですよ〜」なんて、みなさんのことを考えたら口が裂けても言えないです。
だって日々、忙しいなかで貴重なお金と時間を割いてくださる生徒役のあなたがいるから、わたしは先生役をさせてもらえているのです。そうでしょう?
でも、やっぱりここで、ひとつだけ疑問に思うことがあります。
なぜ「私のための短歌教室」は満枠がつづいているのか?という疑問です。
現に予約は来月の6月も既に満枠、再来月の7月も半分弱が埋まっています。追記)7月も満枠になりました。(6/11)
ひとつの可能性として、私が見ている限りにはなりますが、今のところ同様の「短歌の場」がないからではないかと考えています。
現在の「短歌の場」は雑な分類ではありますが大きく分けて2つになると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーー
①短歌を詠む(投稿・発表する)場
1-1.「Twitter」(SNS)
→「RIUM」、「ついうた」、「〇〇杯」、「いちごつみ」、「ツイート」...etc
1-2.「新聞・雑誌」
→「新聞歌壇」、「NHK短歌」、「短歌ください」、「群像」...etc
1-3.「文芸プラットフォーム」
→「うたの日」(web歌会)、「現代詩歌のプラットフォームsuiu」、「ブンサイ!」...etc
1-4.「歌会」(≒短歌を詠む会)
→「結社」、「学生短歌会」、「ニシオギ短歌部」...etc
1-5.「短歌教室」
→受賞歴、あるいは歌集出版経験のある
「歌人」による教室
②短歌を読む場(=上記①+α)
2-1.歌集
→同人、ZINEなどの私家版歌集
→出版社から出版されている歌集
2-2.歌会
→1-4を参照
2-3.読書会
→「岡本真帆と読書会」、「『音楽』の読書会」(ナナロク社)...etc
ーーーーーーーーーーーーーーー
これらになくて、「私のための短歌教室」にあるもの、それは
現実の人間関係から切り離された(ⅰ)
1:1の交流ができる(ⅱ)
対面に準ずる(ⅲ)
「短歌」の場
という性質ではないでしょうか。
身近に短歌をやっている友人や学生短歌会・短歌結社に入っていれば、自然と短歌にまつわる話ができます。短歌を詠むことも・読むことも、機会には困ることがないでしょう。
けれどもそこには、現実の人間関係が伴います。「短歌」と「人間」が結びついています。
固定メンバー制ではない短歌教室や短歌部であっても、常連さんはいます。準固定メンバー制というのが現状のように思います。
もちろん、それらを否定する気は一切ありません。既存の短歌界隈を支えてきたのはそういった場でありますし、これからもそうあるでしょう。
ただ、そういった場に入れないような人にこそ、「短歌」を詠んで、読んでほしいのです。
「短歌」は私たちの孤独を守ってくれます。
私たちが孤独でいることを許してくれます。
わからなければならない社会の常識に縛られた生活のなかで、短歌や詩は「わからなさ」を抱いている私たちひとりひとりの存在を許してくれます。
そういった力があると私は思います。
ですが、ほんとうに誰とも交流せずに「短歌」とのみ交流できるひとは稀です。
私なら自分は「孤立」していると考えてしまいます。
「孤独」は「孤立」になりかねない危険性があります。
なら、孤独な人間同士が、限りなく孤独に近いかたちで(お互いの顔も名前も性格もわからないまま)、ときおり交差する瞬間がある。場がある。
それくらいがちょうどよいのではないでしょうか?
幸福というのは選択肢の数に比例すると思います。
短歌の場にも「選択肢」が増えていく必要性があるはずです。
歌集も、受賞歴も、知名度も、ないままはじめた「私のための短歌教室」に参加してくださる方がいたのは、どこか「孤独」でいながら「孤立」から守られる場を探していたのではないか
そう思えてならないのです。
私は「私のための短歌教室」が、もっと増えていくとよい気がしています。
コスパは、悪いです。普通、4人くらいと短歌の話をするなら1:1×4より1:4を選ぶのではないでしょうか。
でも1:1じゃなきゃダメなんです。1:1×4じゃなきゃできないことがあるんです。
人気歌人には、短歌だけで食べていけるかどうかは別として、ビジネスとして短歌と付き合うことができる側面があるがために、コスパが悪いことはおそらくできないでしょう。
価格設定を安くすることもできないでしょう。自分や短歌のブランディングを低下させることに繋がるからです。
それでいいのだと思います。
私は俗に言う出版経験や受賞経験のある「人気歌人」ではありません。
でも、私だから、私たちだからこそできる、
私たちにしかできないことがあります。
価格設定も安くする必要はないと思います。
教室の目的に合わせて設定すればよいと思うのです。
私は短歌の魅力を伝えたい、短歌の入り口になりたい。そう思っているので料金を低めにしている。それだけです。
というわけで、あなたも、「私のための短歌教室」を開催してみませんか。目的が異なるなら「あなたのための短歌教室」でもよいと思います。
開催するにあたって参考にしたいことがあれば、いつでも私の「私のための短歌教室」に来てください。
短歌がみんなの「孤独」を守るなら、
私はみんなを「孤立」から守ります。
書くことがないとかいいながら、長々と書いてしまいました。
ここまでお読みくださった方、ありがとうございます。
いつかあなたの「私のための短歌教室」の生徒役をさせてください。
ゆっくりと上がっていってかまいません
くれない色をして待っています/笹井宏之
おふとんより愛を込めて
おいも
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?