4月の短歌教室を終えて
「私のための短歌教室」を始めてから2ヶ月が経とうとしている。
土日に一人ずつ行えたらいいかと考えて、満枠は8と設定していたものの現実は、
3月:9回(済)
4月:14回(済)
5月:10回(予定)
なんともありがたい限りである。特に4月は14回と、ほぼ二日に一回の割合で短歌教室を行っていたことになる。どうやら来月もたくさん短歌のお話をさせてもらえそうだ。
ここで、いちど「私のための短歌教室」の誕生について書いてみたくなった。
プライベートな話をしないのが「私のための短歌教室」でのルールとしているが、この場をお借りして少しだけお話をさせていただきたい。ここは教室外だし。
わたしは、一般企業の会社員である。
そして、短歌や詩どころか「文学」とは限りなく縁の遠い職種に就いている。
学生時代の私は、とにかく、就職活動をしたくなかったのだ。
いや、就活をすると死んでしまうのではないかと思っていた。
インターンなど一切せず、放り込まれたグループ面接ではリクルートスーツの同期に囲まれながら、プーさんのTシャツを着て企業の離職率ばかり質問していた。
極めて悪質な就活生である。
結果としては、その生意気さを気に入られた(?)のか、ある企業から内定が出た。
その瞬間に就活を辞めた。
自由になれた気がした。職種に対して拘りはなかった。
入社してはじめて、この「社会」がどれだけ歪んでいるかを知った。
「わたしのたんか」と打ち込めば「私の単価」と変換するPC。読書会で読まれるビジネス書と自己啓発本。「生産性」で人間の価値を図ろうとする人々。全てが私を歪めていく。
なんとかしなければ、この社会に私の居場所はない。私の「世界」を取り戻さなければ、このままでは、殺されてしまう。
ああ、もっとまじめに就活をしていたら・・・
それはそれで、どのみち死んでいたか。
というわけで、私は私の世界を1からつくってみることにした。日々の「生産性」の呪縛から解放されて「私」でいられる世界を。
そうして生まれたのが「私のための短歌教室」という〈場〉である。
私は他者のために何かができている瞬間しか自分の存在を肯定できない。そういった教育を受けて育った。他者を消費して生き残る術も知らない。他者から消費されることへの予防策も知らない。
そんな私は、消費されて、他者のためにできることも少なくなっていって、存在意義がわからなくなっていた。だから、「私が消費されずに他者のために何かできる世界」を探す必要があった。
私のように、「この社会に居場所がない」と感じているひとにも、「ここにいていいんだ」と思ってもらえる〈場〉をつくりたくなった。
だからこそ、少額ではあるが、お金のやり取りを挟んでいる。食券を購入してから食べるラーメンの方が安心できるように、○○円を支払うことで、〈場〉にいる権利を得ることができる。これなら、どれだけ自分に自信がないひとでも、「ここにいていい」と思わせてくれる。ちゃんと対価を支払っているのだから。
自分の居場所が揺らいでいる人間には、一杯のコーヒーで何時間いていいのかわからないカフェよりも、時間単位で費用が発生するネットカフェの方が落ち着くものである。
わたしは、私が消費されずに他者のためになることをする、という「私」のための短歌教室という世界をつくった。
正直なところ、いつまでつづくかはわからない。どれだけ他者のためになれているのかもわからない。本業との争いで討ち死にする可能性も十分にある。
でも今はとにかく、生徒役として参加したいと思ってくれるあなたがいる限り、生きていたい。このつくりあげた「世界」を、〈場〉を継続していきたい。そう思っている。
今月も、短歌を通じて知り合えた、どこまでいっても私とは他人のみなさん、どうもありがとう。本当の名前も知らないあなたに救われています。
みなさんも社会に苦しくなることがありますか。
そんなとき、私と一緒に短歌教室をやってくれますか。
いつかあなたの「私のための短歌教室」にも招いてくれますか。
そのときばかりは、おともだち価格でよろしくお願いします。
おいも