【麻雀メンタルクリニック #1】麻雀で過度な期待は禁物?
「麻雀メンタルクリニック」。このワードが天啓のごとく頭に浮かんできた。
…ので、さっそく記事を書いてみようと思う。僕が麻雀を通じて学んだメンタルや考え方を紹介する企画になると思われる。
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先日、「リャンメン待ちがカンチャンに負けるとイライラします」という相談を受けた。
本記事は麻雀を知らない人でも読める内容にしたいので、上記の相談がどんな意味か、軽く説明しておく。(難しいことは端折って説明するが、お許しいただきたい)
上記の麻雀用語の意味を端的に説明すると、以下の通りだ。
・リャンメン→引けばアガリの牌が最大8枚ある待ち(強い)
・カンチャン→引けばアガリの牌が最大4枚ある待ち(弱い)
極めてシンプルに、「リャンメン>カンチャン」という力関係を把握していただければ問題ない。
麻雀はアガリを目指すゲームであるため、引けばアガれる牌は多ければ多いほど有利だ。リャンメンという形で待つことができれば、単純計算でカンチャンの2倍アガリの可能性があることになる。
しかし、みなさんご存じの通り、麻雀というゲームは多分に運が絡むゲームである。どんなに有利な状況でも、勝利の可能性は100%ではないのだ。
前述の通り、リャンメンがカンチャンよりも強いことは事実である。この状態で負けると、「なんでこっちの方が強いのに負けなきゃいけないんだよ!!」という気持ちになってしまう、というのが今回いただいた相談の内容だ。
この感情は、麻雀をやっている人なら一度は味わったことがあるだろう。だが、個人的な話をすれば、僕はいつからかこの感情を覚えることはなくなった。
たとえ国士無双13面待ち(最強キャラ)でカンチャン(弱キャラ)に負けても、特になんとも思わない。「仕方ないな」「やれることはやった」と自分を納得させて、次の戦いに切り替える。
このメンタルを持てるに至った考え方には、数え切れないほどさまざまなものが存在する。が、その中で最も大きな影響を与えていると思われる考え方を、今回処方箋として紹介しようと思う。
「期待しないこと」
これが麻雀において、…いや、日常生活においても流用できる、平常心の保ち方であると僕は考えるようになった。
なぜ、リャンメンがカンチャンに負けると悔しいのか。それは「自分が勝てる」と期待しているからだ。その期待が大きければ大きいほど、裏切られたときのショックは大きい。
それならば、事前にリャンメンに対する期待をしなければよい、というのが今回お伝えしたい考え方だ。実際、僕はリャンメンでリーチができても、そこまでアガれるとは思っていない。負けたときのことを考えつつ、次の戦いの準備を進めている。
するとどうなるか。負けることがベースにあると、負けたときは「まあ、予定通りか」。もし勝てたときは「うわ…私の運…良すぎ…?」と、過度に落ち込むことなくメンタルを保てるのである。
過度に期待してしまうのは人の性分なのだと思う。事実、リャンメンは実際の数字以上に「アガれる」と思われている。
麻雀牌は全部で136枚。リャンメンの待ちは、その中のたった8枚である。この現実を直視すると、いま自分が感じているよりもアガれない気がしてくるのではないだろうか。
実際はこんな単純な話ではないのだが、ここではアガれる牌の枚数が決して多いものではないというイメージを掴んでほしい。この事実を知ると、自分がアガれないことに対するフラストレーションはかなり軽減されるのではないだろうか。
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今回は「イライラしないようにしたい」という相談があったため、この内容を記した。だが、僕は別にイライラしてもよいのではないか、とも思っている。確かに対面で行う麻雀では、同卓者を嫌な気持ちにさせてしまうため、その感情を表に出すのは避けた方がよいだろう。
しかし、現代では『雀魂 -じゃんたま-』をはじめとしたネット麻雀も主流となっている。ひとりのときは存分に悔しがるのも、麻雀のおもしろさの一つではないだろうか。実際、その理不尽が生み出す悔しさがクセになって麻雀を続ける人もいるくらいだ。
誤解を恐れずに言うと、麻雀のいいところは「所詮、ゲーム」であるところだと思う。麻雀を生業としているプロの方にとっては話が変わるが、僕を含め、世の麻雀プレイヤーの大多数は趣味として麻雀を楽しんでいる。
そのため、麻雀で負けたり失敗したりしたところで、それらは麻雀の世界だけで完結する。つまり、実際に大きなダメージを受けることなく、現実世界で起きる理不尽、心の動き、思考の整理などを、インスタントに経験できるわけだ。
現実世界で大事故に遭ったら、立ち直れないほど打ちのめされてしまうかもしれない。しかし、麻雀で大事故のような敗北を喫しても、死ぬことはない。「麻雀でよかった。」「まあ、所詮ゲームだしな」という思考を持ちながら、現実世界では経験できない理不尽を経験できるのも麻雀の大きな魅力である。
実際、僕は小学生で麻雀を始めてから数多くの理不尽を体験してきた。何千、何万の理不尽を麻雀で体験した僕は、いつの間にか現実世界における理不尽への耐性がついていた。
「まあ、しょうがないよな」
「これくらいで済んでよかった」
というような考え方をするようになっていった。
僕にとって、いつの間にか麻雀は人生の修行の場になっていたのだ。
麻雀によって自分を磨き、自分の弱さ、自分の性格、自分の良さと向きあってきた。
書いていて、自分でも笑えてくる。何を言ってるんだこいつは。
だが、やっぱり僕はまだまだ麻雀に学ばせてもらいたい。自分が路頭に迷ったときも、自分らしさを思い出させてくれたのは麻雀だった。
麻雀のことを書いていると毎回怪文書になってしまうのも、僕の麻雀に対する想いの裏返しとして生暖かい目で見てもらえれば幸いである。
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さて、長くなったのでそろそろまとめよう。
今回は「期待しすぎないこと」を麻雀においてメンタルを維持する方法の一つとして紹介した。
もちろん、メンタルを維持する方法はこの限りではない。今後、「麻雀メンタルクリニック」の続編があれば、紹介していこうと思う。
麻雀は本当に奥深いゲームである。これを日常に活かさないのはもったいない。麻雀を通じて、人生の学びをもっともっと得ていきたいと思う次第である。
ああ、やっぱり麻雀っておもしろいなあ。
※これは麻雀から学ぶことを愛する老師が記した手記です。麻雀をライトに楽しむみなさまにおかれましては、こんなに難しく考えることなくゆる~く楽しむことをおすすめします。自分が楽しめるやり方で楽しむのが一番!