自信と覚悟があれば
11月にも入って、残りの学生生活も5か月をきった。
残りの学生生活が短くなっているせいか、これまでの学生生活を振り返る回数が増えているような気がする。
自分の描いていたような学生生活を送れたのか。
思い返してみれば、ほとんどのことにおいて後悔がある。
じゃあなんで後悔する羽目になったんだろうって考えると、大半が自分に自信がないゆえに行動できなかったからだ。
だから今は少しでも自分に自信を持てるようにと、体からしっかりしようと思い、ジムへ通うことにしている。
まだ週2~3回とあまちゃんだけど、継続することを大切にしようと考えているようから、いきなりハイペースはやめている。
最近筋トレで体を鍛えれば自分に自信を持つことができるときき、半信半疑ながらとりあえず行動してみようと思っているわけだが、継続することが一番大事だから、「継続」を目標に頑張ろうと思っている最中だ。
もう1つ学生生活で後悔した原因があって、それが覚悟の無さだ。
具体的にいうと、傷つく覚悟ができないということだ。
部活でもアルバイトでも人間関係、恋愛など様々なジャンルにあてはまる。
例えば部活。大学生になって練習頻度はかなり減ったため、当然のように実力は落ちていく。実力が落ちると試合で勝てなくなるのは当然だが、その状況に陥った際に3つほど行動の選択肢があると思う。
①自分で練習機会を増やして実力を伸ばし、万全の状態で試合に出る。
②今の実力を認めながらも、恐れずに試合に出る。
③負けるのが嫌だから、試合に出ない。
私は③だった。これはかなり情けない選択だ。負けるのが嫌だったら練習するべきである。しかし、私は練習をして勝てるのだろうかという不安があったため、練習もろくにせず諦めた。傷つくのが怖かったんだと思う。
人間関係もそうだ。私にも親友は数人いるが、表面上の関係は数多くいる。コロナ禍で人間関係は良い意味で選別されたと思う。
私が表面上の関係を築いていた理由は、単に嫌われるのが嫌だったからだ。見放されることによって傷つくのが怖かったんだと思う。
でも今は以前よりその恐れはなくなった。数人の親友は自分のことを大切にしてくれているし、自分もその親友を大切にしている。この関係があるだけで満たされている。もちろん、もっとこういう友人が増えればいいなって望んでいるから、無理しない程度に社交的な行動をしたいと思う。
といっても、まだまだ傷つく覚悟は持てていない。人生で1回も告白していないのも、間違いなく、傷つくのを恐れているからだ。
だから、傷ついても立ち直れる人間になりたいし、憧れるだけでなく絶対に実現したい。
多くの人は知っているだろうが、「鬼滅の刃」にこんなセリフがある。
「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」
私はこの言葉が好きだ。きっと、傷つくことも人間の美しさなのだろう。
辛いことを美しいと思えるくらい、強くなっていきたい。
自信と覚悟、これがあればもっと豊かになるはず。