殺意を抱いた話
今の会社に中途採用で入社した時、地元の広島営業所に配属になった。
管轄してるのは中国五県。当時、広島営業所に欠員が出そうだから…という事情で募集があり、たまたまご縁があって採用頂いた。
諸事情で営業マンが一人辞めるとの事だったから、当然その人から担当エリアを引き継ぐ形での入社となった。
入社してすぐ、引き継ぎのために1ヶ月ほど二人きりでみっちり同行をすることに。
ネルソンズの和田まんじゅうさんとそっくりな彼は、年齢は一つ下で基本的に礼儀正しい人だったが、お客さんに突然キレたりする困った人でもあった。
彼から引き継ぐエリアは大半が鳥取県だったが、とにかく遠いのが堪えた。当時は高速も今ほど充実しておらず、広島から行くとどの道を経由しても4時間半ほどかかっていた。
当然日帰りでは仕事にならないので、毎週二泊三日の旅になった。
年間概ね80泊を結局13年続けたが、慣れてくると出張生活は快適だった。
しかし、その年の終わりに山陰の過酷さを知る。
積雪が半端じゃないのだ。広島も県北は雪が積もるが山陰の積雪は予想を遥かに凌駕していた。
鳥取市の駅前で一晩50センチも積もったり、コンビニには除雪車が常備されるような土地なのだ。
降る雪の量がすごいからワイパーが雪の重みで走行中に動かなくなる。下手にウォッシャー液を噴射させようものなら一瞬で窓ガラスが凍る。
営業車両は四駆でスタッドレスタイヤを履いていたので、降雪中は問題ないのだが、日が落ちると峠道は溶けかけた雪が凍りつきスタッドレスでもズルズル滑って恐怖でしかなかった。
引き継ぎの際に、和田まんじゅう君が「後ろのダンボールにチェーンが入ってます。必要な時は使ってください。」
そう言っていた理由がわかった。
とある日、広島を出るのがとても遅くなり鳥取市最寄のインターを降りた時には真っ暗になっていた。雪は前が見えなくなるほど降っており、夏場は快適な国道も、ただのアイスバーンになっていた。
時速20キロでも怖くてまともに走れないのに、目的のホテルまではまだ数十キロもある。
そんな時に「ダンボールにチェーンがある」という彼の言葉を思い出した。
これでなんとかなる!そう思って路肩に車を停めて、峠道でダンボールを開けた。
「ブースターケーブル」が入っていた。
たぶん生まれて初めて殺意を覚えた瞬間だった。
今もネルソンズを観ると少しだけ殺意が湧くのだった。