のに
のに、と言うから愚痴が出る
まだ大学生だった頃、相田みつをの言葉が若いわたしに刺さりまくっていた
その中でもこの年になる今でも一年に、いや、1ヶ月に一度くらいは思い出すことばがこれ
老人に席を譲った。断られた。せっかく声かけてあげたのに。
友人が見えたので手を振った。相手は気づかなかった。声をかけた。手を振っていたのに。
子供を産んで育てた。自分が病気になった。子どもが看病してくれなかった。育ててあげたのに。
たのまれていない。感謝すると言っていない。手を振り返す約束はしていない。看病すると言っていない。
だけど
わたしは仙人でなければ聖人でもないしマザーテレサでもないから、
「ありがとう」って言われたら嬉しい
手を振るの遅くなったらごめんごめんって言うし、この年になってなお愛情を注いでくれる両親の力にもなりたい
でも、のに、のシチュエーションはときどき絶対やってくる
コロナで困っている人に募金。たくさんしたら誰かに偉いって言われたいし、すごいと思われたい自分がいる
自分、きもっ
これも、のに、だ
募金してあげたのに、感謝してくれない
ってことでしょ自分
相田さんは、なに、思わなかったのかな
匿名で募金する人には、のに、はないのかな
のに、の課題は一生のテーマだな