【番外編】病院を訴えなかった私の理由
前記事↑の続き。
祖母を入院中の事故直後に亡くした。
もし私が「なぜ訴えなかったの?」と聞かれたら。
「訴えて何が得られるの?」
と思う。
私が一番欲しいのは祖母が生きている時間だけれど、もうそれは手に入らない。
訴えたら検証が進み、
なにか「故意」や悪しき慣習が見つかるかも。
訴訟によって再発が防げるのかもしれない。
訴えないことが、決して良いことだとは思わない。
でも正直に言えば、病院も犯人探しも、私にはもうどうでもよかった。
そんなことより、
祖母の死に向き合いたかった。
祖母の死に顔を見た時は、
悲しみを誰かのせいにしたくて怒りを感じたけど、
それは病院にいた数時間で終わった。
病院の対応は誠意があった。
警察を呼んだのも病院だった。
医師の説明では、事故の頭の傷と急変は因果関係がないと言われた。
納得できなかった私は、
後悔したくなくて遺体をCTにかけてもらうよう頼んだ。
医師はすぐに応じてくれた。
本当は頭の中に何か異常があったんじゃないか。医師への不信感があった。
先輩に毎日CTの見方を叩き込まれていた私は、
「騙されるもんか」と思い、
出来上がった画像を医師と見た。
悲しいかな、なにも無かった。
なにも、異常がなかった。
医師の言う通りだった。
祖母は自分で、
「もう逝く」
と決めたんだと思って泣けてきた。
家で看取ると決めて、家族でオムツを代えた日々。
祖母はオムツを代えているのが「孫のかずちゃん」だとわかっていた。
ジッと天井を見つめる祖母、早くこの時間が終わるように急いでおしりを拭く私。
ありがとぉ
といつも言うから、ごめんねと思ってた。
亡くして悲しい、でも、
アノ時間を引き延ばすことも本望じゃない。
大正生まれの祖母の人生、
戦争、理不尽な嫁ぎ先、看護師、
激動だったけど、
「これを着て棺おけにはいる」
と書かれた箱には、
ナース服が入っていた。
看護師こそ我が人生。
その最後が、
入院先に警察を呼ぶ騒ぎ。
葬儀が終わって、家族で笑った。
やるねぇ、ばあちゃん。
秋の青空の下で、
火葬場に向かう祖母の前を、
はっぴを着た子供がお神輿を引いて、笛を鳴らしながら横切った。
なんと美しいのかと思った。
大切なひとの死に他人が介していると、憎むし恨む。
当たり前だ。
私はたまたま、その時間が短かかっただけ。
肺炎で入院した祖母は、肺炎を治してもらった。でも事故にもあった。
病院に対して、
良くしてもらったなんて思ってない。
感謝なんかしてない。
でも、誠意を尽くしてもらったとは思う。
「なんで訴えなかったの?」
の私の答えは、
「祖母の死が誰のせいでもないと、納得できてしまったから」
納得なんか、できなくていい。
恨んでいい。
憎んでいい。
感謝なんかしなくていい。
納得してても、今も悲しい。
祖母が大好きだから。