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フィルムカメラ風のアプリ使うやつが大嫌い

📷:Canon ae-1 🎞:Portra 400
ただの悪口の書き殴りではない

 近頃、急激に増えてきたフィルムカメラ風の写真がiPhoneで気軽に撮れるアプリ。それらを使ってるだけで知った気になって「フィルムカメラハマってるんだ」とか言ってる人を見ると吐き気がするタイプです。

 どこがどう不満なのかって、あげ始めたらキリがないですが、公平じゃないものが同じ土俵の上に並ぶことが我慢ならない訳です。フィルムが高いとか、現像にお金がかかるとか、色々と。それでも最近のアプリって凄くて、素人にはそれが本物か加工かが全く区別がつかないクオリティに仕上がることもなんか嫌なのですよ。(少しでもフィルムカメラを嗜む人間にはおそらくすぐ判別できるが)

 ただ、見る側に立ってみればはっきり言ってそれが本物か偽物かはどうでもよくて、オリジナルにこだわる人間(自分だけかもしれないが)だけがやんややんや言っているという構図は、近頃の大衆に向けられた芸術、特に音楽にもよく見られる傾向に思える。

 MusicFMをはじめとした違法の音楽アプリに関しては前々から運営も利用者も全員地獄に落ちれば良いとは思っていたが、同じ体験ができて無料と有料どっちが良い?と聞かれて無料の方を取る思考回路は至極当たり前のものであって、違法かどうかとか、そう言ったもの全部取っ払ったときに、その思考回路自体は非難の対象に値しないとは思う。とはいえMusicFMに関しては全国の音楽に携わるあらゆる人々に唾を吐いて中指を立てるような行為なのでフツーにダメです。今すぐやめましょう。

 完全に他人のもの、もしくは模倣したものを利用してお金儲けをしたり、名声を得る人がいる一方で果たしてオリジナルのものがオリジナルである意味はどこにあるのかという問いはこれから先、簡単には答えのでない普遍的な問いとなるだろう。そもそも圧倒的に技術が進歩し続け、あらゆる物事がアメリカナイズされていく中で、どこからどこまでをオリジナルとして捉えるかすら日々変化していくものである。

 今回、話の導入として選んだフィルムカメラに関していえば、とりあえず現状はオリジナルと偽物の間には差が存在することは事実である。それに、完成した写真だけを見れば似てきてはいるが、限られた枚数を大切にしたり、アナログのシャッターを切った時の感覚を覚えたり、現像した写真を見て良かったり失敗してたり、ユーザーに唯一無二の体験を与えてくれる時点で無意味なものではない。この体験を伝えて残していくことも必要なことだと感じる。

 そして何より、iPhoneのフィルム風カメラの最大の弱点は思い通りに撮れることであると考えている。これは裏を返せば強みにもなりうる訳だが、はっきり言って、人間が計算して思い通りに作れる範疇のものから芸術として優れているものが生まれるとは到底思えないのである。フィルムカメラは全ての写真が、その程度に差があるにせよ、何らかにおいて予想外の出来栄えである。写真に限らず、例えば音楽では、TheBeatlesやHIPHOPの歴史においてドラッグは切ってもきれない存在であった。それらが素晴らしい作品の誕生に関係あるかどうかは諸説あるが事実としてそう言った歴史がある。

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 話が大脱線してしまったが、いつの時代もオリジナルなものが存在し続ける意味は、それがオリジナルである限りあるように思える。当然、何をオリジナルと取るかは時代とともに変化し続け、その範囲は徐々に広がっていくだろう。初めてガラケーにカメラがついた当時と今のiPhoneのカメラ、ちゃんとカメラとして認めている人の数の差はどれほどのものか想像してみるとわかりやすいだろう。このような時代の変化で、将来には人間が作ったもの=オリジナルと言った常識も覆されることになるだろう。

 しかし、オリジナルがあるということは偽物として非難されているものがある訳で、それらが非難される理由が必ず、現時点ではある訳で、それらからオリジナルを守る努力がまずなければ、この先、オリジナルの枠組みに含まれるものが増えることもないだろうし、そう言った活動や一見無意味なこだわりおじさんはいつの時代もどこかに必要なのではないかなと感じる。

 うまく話がまとまってないところはありますが、こんなところでご勘弁いただきたい。