『嘘から出たまことじゃないか、大事にしろよ』
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今から少し先の未来の話
先日、落合陽一先生監修の「計算機と自然、計算機の自然」を目当てに日本科学未来館に行ってきました。
計算機とはコンピューターのこと。これから先、計算機の発達によって、その中と外の区別がだんだんとなくなっていくにつれて、私たちの価値観や自然観はどのように変化していくのか、考えさせる展示でした。
近年、急激に発達を進めるデジタル技術やコンピュータ。今やスマートフォンは誰でも持ち歩いていますが、時計や家具、車などにも計算機が埋め込まれ、コンピュータがよりパーソナルなものに、文字通り、肌身離さず持ち歩く存在となった訳です。
展示では、自然なもので作られた生花と人口の光源や蝶、ロボットなどが一つの作品として混ざり合っていたり、AIが多数の画像を学習して、存在しない文字や人間、動物を映し出していたり、そこにあるように見えるものが実はそこには存在しなかったり。自然なものと人工物の境目がなくなっていく様子をよりリアルに感じられるものでした。
政府の提唱するsociety5.0ではIoTで全ての人とものが繋がり、様々な知識と情報が共有され、社会のイノベーションが起こるとされています。
これからの未来では、人工物と自然物の区別がますます付かなくなり、今見ているものが果たして本物か偽物かはどうでもよくなる。いや、人工物やコンピュータが作ったもの=偽物であるという価値観は覆され、自然と人工物は混ざり合う。世の中にあふれる、音楽や絵画などの芸術作品は、果たして人間が作ったのか計算機が作ったのか、はたまたそれらを観賞しているのは人間か計算機かまでも気にしなくなる世の中が来るのかもしれません。
先日、今敏監督の「パプリカ」という映画を見ました。(Foorinではない)「DCミニ」という他人の夢を共有することのできるサイコセラピー用の器具を悪用し、現実と夢がごちゃ混ぜになってしまう現象が起こり、その犯人を探すお話です。
この映画の中で「抑圧された意識が表出するっていう意味ではネットも夢も似てると思わない?」という台詞が登場します。現実の世界で窮屈に生きている人ほどインターネットの世界で好き勝手に生きてしまいがちですが、果たしてそれで良いのだろうか。虚構と現実がいよいよ一つになりつつある現代社会において、この作品全体のテーマともいえる「嘘もまことも、嘘から出たまことも大事にしなくてはならない」といったことを肝に銘じた上でこれからの未来に想いを馳せることも大事なのかもしれません。
体調を崩しやすい季節でもあり、最近何となく調子悪いなあという人も多いかもしれませんが、無理せずにいきましょう。