エンタメビジネスで必要不可欠な考え方
エンタメ産業にこれから入りたい学生に対して「学生の間でやっておいた方がいいことってありますか?」という公開討論系で「セOクス」と真顔で答えてから二度と呼ばれなくなった。
これ、別にふざけているわけでもなく尖ってるアピールをしたかったわけではなく本音なのだ。
もう少し怒られないようにいうなら、バイトや恋愛、といえばよかった気はする。
エンターテイメントにおいて重要なのは共通知識(共通体験)そのもの。知識や教養と言ってもいい。
他人に理解できない独特の感覚では観客に届かない。
わかりやすい例として桜という日本人にはなじみが深い植物で考えてみよう。
「風に舞う桜の花びら」
この文字列だけで日本人の多くの人たちは、情景を目に浮かべることができるはずだ。
これこそが「共通知識(共通経験)」といえる。
俳句の奥の細道は歴史や漢文の知識がある前提だからこそあの文字数で成立しているし、アクションゲームの大半はスーパーマリオの経験があるという前提でデザインされている。この辺りは教養に近い。
エンタメ産業で成功する、やっていくには共通知識(体験)の常識をいくつ持っているかにかかってるとすらいえる。
Mr.Jimmyという映画はタイトルと主人公のイラストがギターを持っているアフロヘア。この段階で「ジミヘンを知っている人向け」という前提になる。
反論みたいになるが「知識や体験の共通点が社会から隔絶している人はエンタメビジネスの顧客になりえない」ともいえる。
ジミヘン知らない人からしたら選択肢から外れがちでしょ、上記のタイトル。
落語なんかもわかりやすくって、馬面の円楽さんだったかな、江戸時代の噺をするときに「今でいうコンビニみたいなもの」という説明を入れていた。落語としては賛否あったんだけど、とても分かりやすい。
とはいえ、コンビニを知らない人にとっては説明にすらならない。
同じように恋愛ソングを作詞作曲して歌うまでやるなら、他の人と同じような経験がベースじゃないと理解してもらえないでしょ?
特殊な経験はほぼ届かないと思わないといけない。
『俺は実家が金持ちで苦労したことないけど「苦労したことないでしょ?」って言われるたびに死にたくなる。』
もしこういう歌があったとして、事実だったとしても共感できる人って人口比率でいえば少ない。
話を戻すと、結局のところ「みんなが経験するであろうことを体験し、みんながなんとなく聞いているであろう流行歌を楽しみ、なぜ全米が泣いたのかわからない映画を鑑賞する」という行為こそが、他人を楽しませることであったり、感情を揺さぶることに繋がっていく。
自分の好きなものだけを選べる現代社会においては、エンタメビジネスってこの「共通」が激減している。
消費者としては好きなものを選べばいいんだけど、届ける立場に居続けたいならそうはいかない。
ちゃんと「普通」であり、そのうえで上乗せで独自の勉強をおこなうしかないのだ。
そんなことを理解したうえでヒットさせようとしてちゃんとヒットする流行歌って、どれだけすごい計算や情熱の上で成立しているのか考えると、世の中の楽しみ方が少し変わるかもしれない。
あとこれは人によってはとても辛い現実かもしれないけど「エンタメを楽しむには共通認識(教育や教養)がある程度必要」とも言えるのよね。
ネットで何でも手にはいり、情報を得て発信することができる時代。この共通体験や教養の必要量の多さに、発信側に居る若者たちは耐えられるのだろうか、などと思う
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