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『菖蒲湯』−お風呂上がりに急いでお妾さん!−『明治風俗十二ヶ月』
今日はこれから友人たちと夕食に行くので早めの投稿です!
面白い繋がりで集まった人たちなのでどんな話をするのか楽しみです笑。
私のバイト先の友達と高校の友達がお互いに同じ中学校の同じ部活に所属していた友達同士ということで世間の狭さを実感する集まり笑。
そんな夕食が待ち構えている日も鏑木清方。
今日は「明治風俗十二ヶ月」の5月、「菖蒲湯」です。
一人の女性が髪のセットをしています。菖蒲湯の要素が絵からは感じることができません。藍色の着物がこれまで絵の春の寒さとは違い、涼しさの始まりを演出しています。女性の見ている鏡のある台にオイルのようなものが置いてあります。当時からこのようなスタイリング剤は流通していたのですね。手前に乱雑に置いてある着物は着終わったものでしょうか。奥の川には船が数隻浮かんでいます。何川でしょうか。
清方の解説にはこうあります。
「歌にある橋場今戸 まだその頃は 歌のままなり 絵の如く その橋場の寮の五月五日 清方記」
場所は今戸、つまり東京の台東区にあたる場所です。
今戸がこの区画にあたるので、絵の奥に見えている川は隅田川ですね。ここは景勝地として有名だったよう。
解説にある「寮」というのは別荘のことで、女性はそこに住っている妾であるよう。
妾というのがいまいちわからないのですが、少し前の「青天を衝け」のシーンであった渋沢栄一が浮気相手というか二番手の女性が孕って、その女性を正妻のいる家に連れてきた時のシーン。二番手の女性がいて間に子供がいることで男性の経済力が目に見えて誇示することができるのだと。その二番手の女性がお妾さんというみたいなことを何かの記事で見たことがあります。
記憶はあっているのかなあ。
正妻のほかに愛し扶養する女のこと。蓄妾の存在は,性的欲求のほかに,子を得るため,経済的誇示のため,などの理由がある。江戸時代,とくに武家社会では,家の継承者として男系子孫を得ることが強く望まれていたから,正妻に男子が生まれない場合は,養子による方法もあったが,めかけによって得ようとすることがしばしば行われ,これは儒者によって倫理的にも肯定されていた。明治になって種々の推移はあったが,法的にめかけは妻と同じ夫の2親等としてあつかわれたとか,戸籍に記載されたり,めかけの生んだ子を父が認知すれば庶子となり,庶出男子は嫡出女子に優先して家督相続ができたというように,直接,間接にめかけの存在は認められた。
あってた!この絵の女性が妾であるというのがどこでわかるのだろうという疑問が残りますね。
この妾は毛立てという櫛で髪を整えているようです。また、鏡台においてある小瓶は化粧水であるらしい。明治時代になると肌荒れ防止や美白をうたう化粧水が売られていたと言います。
この女性のいる部屋は浴槽の真横であるらしく、画面左に桶があるのがわかります。これが菖蒲湯ですね。なるほど。
桶の淵や風呂の手前の板にも緑の葉っぱが散らばっていますが、それが菖蒲の葉です。
女性はお風呂から上がって身支度をしている最中で、浴衣を引っ掛けているところだそうです。
奥の川に浮かぶ船がありますが、これは当時の主流な交通手段であったようです。買い物に行くのにも花火を見物するのにも船はよく利用されていたと言います。
この橋場今戸についてですが、在原業平の歌に橋場の渡しを歌ったものがあるようです。
https://manapedia.jp/text/4925
伊勢物語の9段『東下り』そして『古今和歌集』に収録されている歌「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」です。
「都」という名を持っているのなら、(都の事情に詳しいであろうから)さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのかと。
という現代語訳。
これが橋場とどうかかっているのかいまいちピンときませんが、1200年以上前から名所であったようですね。
ザ・浮世絵でもない美人画でもこうやって遥か昔からの名所について描かれているものがあるのはやはり日本画の面白いところですね。
今日はここまで!