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「綾瀬川鐘が渕」−鐘の二の舞にならないでねお兄さん−『名所江戸百景』

さあ、4日ぶり?の記事書き書きしますか!本調子に戻れるかな。
私はこの数日札幌にいました。小樽にもいました。

初日昼からレベチな回転寿司を食らい、海鮮居酒屋で塩辛の美味しさを初めて知り、瀟洒な夜パフェを嗜みました。2日目には小樽でぶりぶりな海鮮丼を貪り、夜にはジンギスカンのラムだけでなく玉ねぎの美味しさに涙を流しました。3日目は本場のスープカレーで久々の食物繊維を摂取し体に栄養を行き渡らせ、そのままの腹6分目に初日と同じ回転寿司を4皿詰め込み、旅の締めとして味噌ラーメンを啜りました。

今東京という現実に戻ってきていることを未だに信じたくないのが本心で、食が細くなってくる頃になったら北海道に引っ越したいとさえ思っています。というかまた半年後くらいに行きたいとさえ思っています。

そんなことができるように今のうちにやるべきことをやらないとですね。

浸りに浸っている今日も広重。今回は『名所江戸百景』「綾瀬川鐘が渕」です。

◼️ファーストインプレッション

きっとこの描かれている川は題名の通り、綾瀬川なんでしょう。その川の岸に座ってゆったりとこの絵を描いているような印象を受ける画角。
筏に乗って漕いでいる男性のお尻あたりがまさに描いている目線じゃないかというくらい低め。
これまでは川の全容がわかるくらい俯瞰した角度から描かれていました。しかし今回は敢えての下めのアングル。左上の方にかかっている名前のわからない扇型の花と針葉樹チックな葉っぱの木を画面に降り懸けたかったのでしょう。

その降り懸かる木の葉っぱがカサカサと音を立てて風にそよいでいるのがよく想像できます。
夕暮れ時なのがよくわかる向こうの赤色。虫の音も聞こえるような穏やかな夕方であることもよくわかります。

◼️鐘が淵

題名にある「鐘が淵」という地名は現存です。

赤ピンの集合の平均を鐘が淵とします。笑

東京都墨田区 (すみだく) 北端の地名。現在、町名では堤通 (つつみどおり) 、墨田などにあたる。隅田川 (すみだがわ) が大きく曲がる所で、曲ヶ淵 (かねがふち) とよんだことか、または、橋場(台東 (たいとう) 区)から亀戸 (かめいど) に普門 (ふもん) 院とよぶ寺が移転する際、寺鐘が水中に落ちたことが地名の由来という。江戸時代は将軍献上の野菜畑、鷹狩 (たかがり) の地であった。1889年(明治22)ここに鐘淵紡績工場が設立され鐘紡 (かねぼう) (のちカネボウ)の名でよばれた。現在は工場は廃止され、高層の都営住宅地に再開発されている。東武鉄道伊勢崎 (いせさき) 線の鐘ヶ淵駅がある。
『日本大百科全書』

普門院という寺が台東区橋場から亀戸に移動するときに寺鐘が水中に落ちたことから鐘ヶ淵というそう。
江戸時代には鷹狩の場所でもあった広大な場所。

この由来に関して、よく沈鐘伝説と称されておりその説にはいくつか種類があるそう。

一つは先述したもの。
二つ目は橋場の長昌寺の鐘が洪水で沈んだ説。
三つ目はこちら↓

この鐘は、千葉常胤が娘の夕顔姫の菩提のために建立した瑞応寺のものであったが、天文21年(1552年)に千葉氏が北条氏に降った時に、戦利品として北条氏が持って帰ろうとした。船で運んだところ、突然若い女の泣き声が聞こえだし、それが唸り声に変わると、遂には嵐のように川が波だったために鐘を沈めたのだという。

供養のための代用として鐘を沈めた説。

この話の続きは吉宗から始まりますが、ちょっと長めの引用になるのでぜひご興味があれば飛んでみてください。

要約すると、吉宗がその話に興味を持ってその鐘を引き揚げさせました。女性数百人の髪の毛を繋げて網とし、水夫に引き揚げを命じたところ、水夫は水の中で当の鐘を見つけます。網をくくろうとすると一人の女性が現れ、水夫に引き揚げをやめさせようとします。しかし水夫も将軍の命なので引き上げるわけにいきませんでした。そこで女性は両方の顔を立てようと約束し、水夫に引き揚げを許可しました。水夫は水面まで引き揚げ、竜頭が顔を出したところまで引き揚げたその時、網は何故か断たれてしまい、鐘は沈んでいってしまいました。吉宗はそれ以降鐘を引き揚げるよう命じることはなかったそう。

というもの。

吉宗も何かを察したのでしょう。


◼️綾瀬川

綾瀬川は埼玉の越谷からきている川で、現存するものです。

この地図は先ほどの地図をもう少しズームしたものです。けれど隅田川の湾曲したものは同じなので大きな違いはありません。
この地図では主な河川が3本映っていますが、一つが湾曲する隅田川ですね。
二つ目が太く伸びている荒川
三つ目が、その荒川の右沿いに流れる細い川がまさに綾瀬川です。

しかし描かれている絵を見ると、流石に遠すぎな気がしますよね。
なので現在の綾瀬川は関係なくて、隅田川の湾曲したまさに突起の部分。そこに流れるほっっっっそい川があるのがわかりますが、それが現・新綾瀬川です。その川を、絵の男性の目線の先にある橋の下に流れる川として良いのではないかと思います。

水流の交わるところなので流れの変化にやられそうですね。男性がこの後うまく筏を降りられることを願っています。笑

『江戸名所図会』「鐘が潭・丹鳥の池・綾瀬川」です。
左ページの上半分に描かれる川に「綾瀬川」と書かれています。確かに川を渡す橋が架かっているのは今回の『名所江戸百景』でも同じですね。それが真ん中に流れるの連れて、湾曲した川に差し掛かっているのがわかります。
それがきっと隅田川。右下のページの川の上に「鐘が潭」と書かれているのがわかりますね。
このエリアのことを言うのも地図を90度反時計回りに回せば同じですね。

「同所隅田河荒川綾瀬川の三俣の所を差して名づく
傳へ云昔普門院といへる寺の○鐘此潭に沈没せりとも又橋場長昌寺の鐘なりともいひ令両寺に存する所の新著の鐘の銘にも此なを載たる所の是ならん」
前よりは結構読みやすかった!

鐘ヶ淵の由緒は先述の通りでしたね。
先に知っておいてよかった。

特筆事項はありません。笑

今日は鐘ヶ淵とその由来、綾瀬川を見ていきました。

今日はここまで!

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