『東都浅艸本願寺』−東本願寺の鋭角、富士山と並べたい。−『富嶽三十六景』
久々に朝を超えて昼近くに起きました笑
ありゃ〜ダメダメ大学生じゃないか〜とは思ったものの今日だけ!今日だけだからまあいいっか!笑。と自分で自分のたまのゆるさを認めてあげないとですね。
そんな中でもやると決めたこの記事を今日も書きまっせ!我ながら毎日およそ30何日続いたものがないので自信を持って続けられています。
今日も葛飾北斎『富嶽三十六景』です。今回は「東都浅艸本願寺」。
この前浅草行ったけど本願寺あったのかなあ〜。
これもまた構図が工夫されていると感じます。おそらく本願寺であろう絵の右いっぱいに描かれる建物の屋根部分には人が何か修復をしているのでしょうか。風が吹いたら飛ばされてしまいそうなくらい不安定な場所にいます。この時代絶対この仕事の人は高給だったか危険な仕事であったと思います、、。この屋根の斜線に沿って富士山は描かれています。画面中央に描かれていますが、存在感は強くはありません。またまたそれに沿って画面左側から凧が上がっています。そのまた左側に鉄パイプ?のようなもので組まれたものがあります。何のためなのかは検討がつきません。
東都浅艸本願寺とは現在の東京都台東区西浅草1丁目にある東本願寺のことです。
ここにあるんだ!この辺りだと北斎が住まいを置いていた地域に近いので実際にこの地から富士山を見ていた可能性はありますね。元々光瑞寺として神田にあったものが、明暦の大火によって浅草に移転したものが東本願寺であるようです。
この東本願寺を描いたものに斎藤月岑の『江戸名所図会』があります。
これじゃないかな、、?おそらく誰もが目に付く左上の大きな屋根の建物が東本願寺。確かにこの大きな屋根は北斎のようにモチーフにして描く甲斐があると思います。
画面の左に立っていた鉄パイプとかいってた高いものは、柱を組み合わせて井戸を掘るために仮設された櫓であるようです。井戸掘るのにこんなに大きな櫓を立てる必要があるんですね、、。
浅草といえば浅草寺ですよね。大きな提灯の雷門がある赤い門がトレードマークの!なぜそっちを描かずこの若干マイナーな(失礼)東本願寺を描いたのでしょうか。それはやはり北斎に大きな影響を与える方がいますよね!笑。そう、河村岷雪さんです。彼の『百富士』の「玉嶌山」という作品で隅田川と浅草寺、東本願寺の本堂と富士山を俯瞰的に描いているようです。
これだ!おお、、左上は富士山ですね。そしてその右にあるのが東本願寺、、?その右下にあるのが浅草寺かな!
ここで浅草寺だけでなく東本願寺にも焦点を当てて、その屋根の鋭角と富士の斜面を対比させることを思いついたのでしょうね。
今日はここまで!