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「伊豆修善寺湯治場」−空海が残してくれた目で愛でる納涼スポ−『六十余州名所図会』
本日は朝から夕方まで室内のアルバイトであったのにも関わらず、日焼けをした気がします。
日焼け止めを塗っていても顔がヒリヒリするような火照っているような感覚が夜になって襲ってきます。
夏はハツラツとしていて良いですが、弊害が大きすぎるのが悩みどころです。
そんな夏の始まりを感じている今日も広重。
今回は『六十余州名所図会』の「伊豆 修善寺 湯治場」です。
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修善寺
伊豆の修善寺は今もなお伊豆の名所でありますね。
なんなら去年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で悲惨な回を生み出した修善寺です。
いまだに覚えています。
そんな修善寺、どんな来歴があるのでしょうか。
弘法大師空海が大同2年(807年)に開基したと伝わる古刹。源頼家が幽閉され非業の死を遂げ、岡本綺堂の戯曲「修善寺物語」で有名になった頼家ゆかりの古面や、北条政子が寄進した放光般若波羅密教などが宝物館に納められています。
簡単にまとめれていますが空海が開基したと言われ、源頼家が幽閉されていたエピがやはり強烈に残っているお寺です。
とはいえ、今回の絵には修善寺本体は描き込まれていないですね。
今回の主役は湯治場。
独鈷の湯
修善寺の湯治場は独鈷(とっこ)の湯と称され、今回の絵にも描かれています。
諸国を行脚中の弘法大師が、桂川で病父を洗う少年を見て心うたれ、独鈷杵(仏具)で川の岩を打ち霊湯を湧出させ、父子に温泉療法を伝授したという、修善寺温泉発祥の湯です。
※独鈷の湯は、法律にのっとった浴場ではありませんので入浴できません。足湯としてもご利用できません。
空海が独鈷杵で川の岩を打ったら霊場を湧出させたことから独鈷の湯と言われているみたいですね。
独鈷杵とは↓
密教(みつけう)において祈禱の際に用いる法具。
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『倭漢三才図会巻第十八之九』より
こんな形の杵。
下の五鈷と比較すると、上部の尖りが一つであることから独鈷と名前がついているのですね。
今回の絵で独鈷の湯がどこに描かれているかというと、こちら。
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修善寺の公式HPをご覧いただくと全く同じような湯治場があることがわかります。
灯篭と、岩で囲われた中に沸いている水は空海が開基したらしい湯治場。
何だか箱根みたい。
このような景色なら夏でも秋でも体も頭も癒しに一泊したくなるかもしれません。
深い山々の中に悠長に流れる川、飛沫をあげつつもその音が喧騒に生きていた江戸の人々の心を癒したのではないでしょうか。
ただ川が流れている、そこにお湯が沸いているというだけでなく、対岸それぞれにたくさんの木賃宿、料亭が並んでいるのも素晴らしい景色を成している一因でしょう。
参考書によると明治時代以降の「温泉番付」では上位にランクインするほど有名な温泉地であったそう。
その範囲が東日本なのか、伊豆国の中でなのかはわかりませんが、有名ではあったそうです。
今回の絵は下半分に岩と水の流れが絡まっている段差が描かれていますが、そこがあるからこそ奥の山からの立体感が際立ちます。
今もパソコンのキーボードを打っている音が川の流れと化して聞こえてくる気がする、涼しい絵です。
晴れた夜には川沿いの古き良き宿に泊まってゆったり過ごしてみたいものです。
暑さがじわじわと迫ってきた最近の空気に爽やかな涼しさを届けてくれた一枚でした。
こう感じさせてくれるところに広重の良さがギュッと詰まっている気がします。
今日はここまで!
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