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「藤川 棒鼻ノ図」−描写の共通性が説を濃厚にしている…−『東海道五十三次』

やっっっと、バイトをやめる旨をバイトの人に伝えることができました。
11月末ということにしましたが、期限があると心が軽くなってどうにか頑張れそうです。
一緒にバイトをする方達にはどの仕事でも恵まれていると思うので次のバイトも心配はないですが、客にいびられるようなことだけは起こらないといいなあと思っています。

そんな勇気ある行動(?)で気分爽快な今日も広重。今回は『東海道五十三次』「藤川 棒鼻ノ図」です。

◼️ファーストインプレッション

こ、これは、大名行列始まりのワンシーン。
行列の一行が宿場に入ってきて榜示杭が高々と植えられていて、藤川宿の始まりが暗示されています。
入ってくる一行に含まれる人間の表情はあまり読み取れず、俯き加減なだけがわかる程度です。そこか厳粛な印象を与えますね。
一方で頭を下げている旅人っぽい人たちは一応頭を下げているみたいな印象を与えますね。笑
行列の様子も気になるし、でも隣のおじちゃんと話したいし、で気が散っている様子ですね。
その左では犬ちゃんたちが戯れあっています。
コロコロと丸っこいかわいらしさがこの絵の中の荘厳な印象に癒しを与えてくれます。
犬の隣にしゃがんでいる男性がこの流れだと、犬の化身にさえ見えます。笑
まるでおすわりしているみたいな姿勢だし。

画面の下半分にぎゅうぎゅうに人間が描かれ、息が苦しくなりそうな一方で画面右の空は淡い色が混じり合ってマーブルの空が広がっています。
画面下と上では対照的な印象を与え、このコントラストが画面のバランスを整えていますね。

今日はここ藤川の位置と、行列の正体を見てみましょう。

◼️藤川

前回前々回とみた御油・赤坂は目と鼻の先の距離で、私の家と最寄駅の距離よりも近い印象が強い宿場でしたね。

今回の藤川はどこからどの程度の距離なのでしょうか。

赤ピンの「旧東海道藤川の松並木」とあるところを指標にすると、右下の「名電赤坂」とあるところからの距離がよくわかります。
およそ10キロ。御油とその前の吉田との距離と同じくらいですね。

もう少し藤川にズームアップしてみます。
棒鼻があったところも跡になってそこから宿場が始まることもよくわかりますね。
御油にもありましたが、松並木はこの愛知県のあたりでは名物だったのでしょうか。
というか、東海道だからそこの道に沿って松が植えられていたと考える方がいいのかな。

◼️行列の正体

参考書によると、この行列は大名行列とはまた違うタイプの行列であるみたい。
一説に”八朔御馬進献”という一行で、毎年八月一日に江戸幕府が京都の朝廷に馬を献上する行事のことであるらしいです。
そういえば広重はかつてこの行列に加わって京都まで行ったことがあるという話をどこかで読んだことがありました。

その証拠となるのが馬の背中に御幣が建てられているためにそう判断されているらしい。

こちらのトーハクのTwitterの呟きが見つかったので掲載。
広重はやはり自分自身が行列に参列したこともあって、その様子を細密に描写することが可能だったのですね。
浮世絵の一部に入れ込むだけでなく、肉筆がで一人一人細かに描きこむことも可能だったのですね。

で、この行列に参加したのがどこでわかるかというと飯島虚心『浮世絵師歌川列伝』
こちらの広重の項目、序盤に
「天保の初年、広重幕府の内命を奉じ京師に至り、八朔御馬進献の式を拝観し、細に其の図を画きて上流。其の往来行行山水の勝を探り、深く感ぜる所あり。これより専ら山水を画くの志を起せりとぞ、三世広重の話。(「小日本」の稿は、初め御馬献上にて京都に行きし事を誤り解し、後の項にて訂正しあり。従て次の解説も大部分、「小日本」にはなし。)」
とあり、実際にその行列を見ながら画くことに勤しんだとあります。

で、この八朔御馬進献の様子を広重が描いた作品って今回のものや上のTwitterのものだけでなく、かなりあるらしい。

歌川広重『五十三次名所図会』「吉田・豊川大はし」です。
ここでも馬に語弊を立てて橋を闊歩しています。
旅人はそれに頭を下げて通り過ぎるのを待っています。


でも色々調べてみると、こんな記事が。

広重が馬の献上自体を目にしていない可能性が示唆されています。
実際の八朔御馬進献は語弊を立てるという事実がないというのです。
平安時代の馬迎え行事を描いた江戸時代の絵画には語弊が描きこまれていないというのです。
そもそも飯島虚心の列伝には細密な描写の言語化もなされているけれど、語弊の有無は書かれていないということも指摘されています。
定説となっている行列の参加はこうした事実からひっくり返ることもあるのですね。
広重が実際に見たのかは私では判断が難しいですが、いつかこうして根拠を挙げて自分の意見を持てたらいいなあと思いました。

今回は藤川の位置と、八朔御馬進献について見ていきました。

今日はここまで!
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