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「志摩 日和山鳥羽湊」−片手に伊勢湾、心に青海原 アアアアアア−『大日本六十余州名勝図会』

最近レオナルドディカプリオとジョニーデップにハマっているので洋画をよく観ます。

レオ様とジョニデです。

顔がいいだけでなく、高すぎる演技力で2.3時間の長い時間も退屈しません。
眼福とはこのことなのですね。


そんな幸せな映画タイムを過ごしがちな今日も広重。
今回は『大日本六十余秋名勝図会』の「志摩 日和山鳥羽湊」です。


国立国会図書館蔵

ファーストインプレッション

志摩というと伊勢志摩というワードでよく出てくる地名ですね。

またここも伊勢湾を正面に迎えて高い位置である丘の上から視野をとらえています。

ここの浜の名前は題名の通り鳥羽湊といい、よく栄えていることがわかりますね。
黄色や藍色の屋根の建物がいくつも立ち並び、点で人々が散らばっていることもよくわかります。

船も出入りしていて、交易が盛んだったことを物語っています。
大きな船だけでなく、小舟も往来していますね。
漁もまた盛んであったことが予測できます。

画面の半分くらいが海で、残りがほとんど空か丘といった自然物に囲まれた空間を描いていますが、どこか活気が感じられる絵となっています。

こうして一見ただの風景のように見える絵も細かい脇役たちを活かすことで生命力を宿すことができるのも広重作品の魅力ですね。

今回はこの場所の日和山、鳥羽湊についてみていきたいと思います。

日和山・鳥羽湊

日和山と検索すると、全国にいくつか同じ名前の山があることを知りました。
今回は三重県鳥羽の日和山です。


赤ピンが鳥羽の日和山。
伊勢湾との距離感がわかると思います。


もっとズームアップした地図です。
鳥羽湊という名前で特定の場所を指す湊はなかったのでこの湾がちょうど鳥羽湊ということなのでしょう。
すると、日和山との距離感は非常に近いことがわかります。

全国に日和山という山が多い理由に、日和山という総称があるということがわかりました。

江戸時代、船乗りが出帆の適否を判断するため、天候や風向きを見定める日和見に利用した港湾付近の小山。遠見山。

日本国語大辞典

そもそも、日和山という山が、港湾付近にある山で船乗りが出帆の適否を判断するために活用した高台ということなのですね。


”鳥羽”の日和山についての記載を見つけたので載せます。


国立国会図書館蔵

『趣味と実用をかねた日本名所めぐり』大村豊吉氏
甲子社書房 大正15年

ここの日和山という項目があります。

〔日和山〕
日和山は鳥羽停車場の前面に峙ち、登るに二路ある。一は停車場より旅館の傍を辿り、一は本町よりするもの、何れよりするも丘上までは共に三四町、山は海抜僅かに百八十呎なれども、頗る形勝の地位を占め、鳥羽湾は幾多の島○を浮べて脚下に展開し、左方は白帆點々たる伊勢湾、右方は渺々際崖なき青海原で、快晴の日には雲烟模糊の間に遠く富士の高峰も望見することが出来る。山上に一小茶亭がある。

このように書かれています。
大正の記事なので口語に近い言葉で書かれていますし、停車場というワードから前時代的ではあっても車が発達していたことがわかりますね。

ただ、”鳥羽の”日和山から望める景観が今回の広重の作品と似ていることが感じ取れます。
山の海抜は180尺とあり、メートルに換算すると55メートル程。
山というには非常に低い丘ではありますが、本来は海への出帆が分かればいいだけの山です。

鳥羽湾にはいくつもの島が浮かび、左側には船がいくつも浮いた伊勢湾、右側には渺渺と広がる青海原が見渡せるということです。
広重の作品は竪絵なので左右の広がりを見ることはできませんが、作品中でも白い帆を立てた船が往来している様子がわかりますね。

右側に広がる青海原とは太平洋のことでしょう。
そりゃ広い海なわけです。

快晴の日には富士山を見ることもでき、丘の上には一軒の茶屋があるとのこと。


富士山と鳥羽の距離感はこんな感じ。
東京と富士山の距離感よりも2倍近く遠く感じますね。
けれどもしっかりと見えるという。

富士山はどこまで姿を見せているのでしょう。

丘の上の茶店で一息ついている時に見える富士山とその右側に広がる大海原は絶景でしょうね。

今でもどこか高台のカフェに行けばそういう景色が見られそうな場所です。


今日はここまで!
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