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「品川御殿やま」−花見で酔ったら潮干狩りで醒ます、、?!–『名所江戸百景』

ノートのバージョンアップがされて、編集が改善されました!歓喜!
以前のバージョンの使いやすさに慣れてしまったので少し不満を持ちながら毎日書き書きしていたのですが、今描きやすいバージョンに戻って期待に胸を膨らませています。

そんな今日も広重。今回は『名所江戸百景』「品川御殿やま」です。

◼️ファーストインプレッション

この題名にある御殿山というのは桜が咲き誇る小高い丘のことでしょう。道という道がしっかり舗装されていて頂上まで誰でも登れるようになっていますね。ちょっと厚着をした人たちが花見を楽しんでいます。ちょうど花が咲く頃はまだ肌寒い時期だったのですね。
それにしても結構海沿いで江戸湾の潮風を浴びているのにも関わらず綺麗に咲いているのですね。

◼️御殿山

この小高い山が御殿山

寛永13年(1636)に品川宿を見おろす丘陵地に、品川御殿と呼ばれる将軍の館が建てられたことによります。この品川御殿は将軍の鷹狩りの際の休憩所とされていますが、江戸の入り口に位置し、その見晴らしの良さから防衛の拠点としても機能していたと考えられています。
(中略)
特に足繁く通っていたのは三代将軍徳川家光。鷹狩りだけでなく、茶会なども開催していました。茶道の世界でも有名な「御殿山大茶会」は長府藩主毛利秀元が、この地で主催した茶会のこと。そう、御殿山という名前は“将軍の品川御殿のある山”に由来するのではないかと言われているのです。
(中略)
その後、八代将軍徳川吉宗の時代になると、北区にある飛鳥山ともに桜の植林が進められた御殿山は花見の名所となり、春には海岸での潮干狩りも楽しめるとあって、江戸庶民の行楽の地として親しまれるエリアとなりました。その賑わいは、歌川広重や葛飾北斎といった多くの浮世絵師によって描かれています。

この場所を”御殿”と称されたのは将軍の館が建てられたことによるらしい!静岡の御殿場もその関連なのかもしれないですね。
品川御殿は防衛の昨日も果たす丘陵で、江戸を守る役目を果たしていたのですね。

時代が後になると、吉宗が桜を植林してくれたために絵のような花見の名所になったのでした。
また、潮干狩りもできたということで絵のように干潮めいている砂浜が描かれているのも納得。
広重はまさしく品川御殿の名所らしい絵を描いたのですね。

◼️描いた他の絵

御殿山を描いた他の絵を見てみると本当にここが桜と潮干狩りの名所であることが顕著だなと感じます。

広重の『江都名所 御殿山遊興』です。
題名にもあるとおり遊興の場として置かれていたのかな笑。
桜が満開で、酔っ払いが踊り狂っているのもわかります。

広重の『五十三次名所図会 品川』です。
この絵は山の方向から江戸湾を見ていますね。なので潮干狩りができると言っても海に続いているわけではないことがわかります。
確かにこれだけ高い位置から海をみることができるのですから、防衛は万全に思えます。

これまた広重なのですが、『江戸むらさき名所源氏 御殿山花見 見立花の宴』です。
一人の遊女か普通の女性かを真ん中に描いて、花見をしている様子が描かれています。お客さんと来ているのかな?
桜が満開なので、他の後ろの花見客も踊って飲み散らかしている様子がなんともひょうきんに描かれています。
ここで題名が書かれている「見立て花の宴」の部分が、蛤のようなものの上に書かれているのは、ここが潮干狩りの名所だからその要素を含ませているのかもしれませんね。

紹介した絵は全て広重でしたが、他の絵師が描いたものも出てきたらよかったなと思いました、、笑

今回は品川御殿山の歴史とそこを描いた他の絵について見てきました。

今日はここまで!
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