「両国米沢町」−大事な商売もとが、、!−『江戸名所道戯尽』
今日はひっっっっっっっっっさびさにジムでトレーニングしました。
せっかくジムで働いてタダで使えるのにしばらく使っていなかったのでいつもの重さもちょっと厳しくなっていて、ショックを受けました、、。
最近朝早く起きれているのでその流れで運動できたら非常にいい生活になると妄想しています。
そんな妄想で終わりそうな今日も広景。今回は『江戸名所道戯尽』の「三十 両国米沢町」です。
◼️ファーストインプレッション
うなぎがニョロニョロと籠の中から出て逃げ出しています。
一匹は女性の足元に向かって、もう一匹は脱走途中ですね。
うなぎがこうして水の外で活発に動いているのを実際に見たことがないので、この絵を見るとまるで蛇に見えます。
足元に蛇が寄っている女性は少し笑った表情で、この状況を楽しんでいるみたいですね。
追いかける男性は商売になるものが一つ失われる焦りから全力の前屈みで掴もうとしています。
この辺りが飲食店が多いことはこの青い暖簾の多さからなんとなくわかるので、このうなぎも軒の店に出されるものなのでしょう。
奥の軒の連なりには「いせや」や「福本」といった暖簾が読み取れますが、これは見る限り茶屋って感じですね。
その奥の橋がきっと両国橋であるからこの茶屋は隅田川沿いに並んでいるものなのですね。
今回はうなぎ特集をするか、隅田川沿いの店々を見ていくか、迷いますねえ。
◼️浮世絵×うなぎ
うなぎの勝ちです。
この絵でもわかるように江戸時代からうなぎは食べられていました。
鰻丼はすき家でたまに出ていたりするけれど、そこまでリーズナブルに食べられるのも珍しく、やはり少し高い値段を払って食べられるものですね。
私は鰻はあまり好きではないので出費を抑えられますが。
当時はおよそ2400円。丑の日のランチとかならありそうな価格。
今の鰻丼は白ごはんにうなぎが3、4枚というのが主流だと思うのですが、江戸時代当時はかなり太っ腹な売り方をしているみたいですね。
2段にして全部で10切れくらい。
かなりお腹パンパンになりますね。
そう考えると、今よりいくらかリーズナブルなのかもしれませんね。
一方で高級なうなぎもファストフードであった時代もありました。
棒手振がうなぎを売っていた時代があったのですね。
うまい・早い・やすいで完璧な食べ物です。
江戸でも192円。これで全然十分じゃないですか。
そんなうなぎを描く浮世絵で、どのような売られ方をしているかを見分けることができそう。
歌川国芳の『御ぞんじ 山くじら かばやき』です。
うなぎを蒲焼きにする直前の段階でしょう。
大きな包丁を掲げて活きのいいうなぎを抑えています。
これはきちんとした店で出しているうなぎでしょうけれど、厨房の大変さも同時にわかる図ですね。
歌川国芳の『春の虹蜺』です。
こちらはファストフードバージョンの蒲焼きですね。
橋の上か、手すりのそばで食べています。
扇の柄になっているようで、夏にちょうどいいイメージですね。
これくらいの大きさで200円もしないで食べられるから、相当人気ですよね。
でも最初、うなぎがこういう形で売られていることを知らなかったので、水飴かと思ってしまいました。
今でいう、コンビニのホットスナック的な立ち位置だったのかな?
広重の『浄瑠理町繁花の図』です。
この中の左にある屋台に「かばやき」と書かれた店があります。
ここでは夫婦?が商売をしていて、まさにファストフード的うなぎを売っているところです。
作る工程も見せながら、しかも作りたてのうなぎを並べていて、非常にそそられるものではあります。
今では衛生的にアウトな売り方ですが、串に刺さって、手軽なものとしてちょうどいいサイズであることがこの絵からわかりますね。
今日は江戸時代の鰻文化についてみていきました。
アナゴ食べたくなってきた、、笑。
今日はここまで!
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