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「岡崎 矢矧之橋」−橋ダッシュ×5する部活とかありそう−『東海道五十三次』

ついに見栄えのいい男が去りました。
最後まで美しい姿が描かれ、また墓参り人物リストが一人増えました。

義時を殺せたはずなのにトドメを刺さなかったのは、これからの鎌倉を変えていく人物としての義時がいなくなっては時政の暴政が勢いを増すだけだと思い、義時を生かしておいたという話をTwitterで見ました。
もうそのようにしか見えません。

これまでこうして日本史に名前が挙がる人物で〇〇の乱という事件名にされる人物は集団からいきなり自分の得のために反逆に出たものだと思っていました。
そして高校の時はこうした事件名を年号と一緒に覚えるだけでどんな内容だったかをほとんど覚えようとしてませんでした。

大河ドラマは史実と違うことももちろんあるし、話を盛っていることもあると思います。けれどこうして乱とされる人々も決して自分のためでなく、これからの世の中のために非業の死を遂げることもあったのかと思うと、歴史を勉強することも人間性を高めることに繋がると感じます。

あー、顔良い男がいなくなっちゃったけれど癒しの和田殿がまだ生きている、、。

軽率にも昨夜、中川大志さんの11月の舞台を予約しました。
席も取りました、、、。
『夜行観覧車』の逃げ回っていたあの中学生がこんなに沼らせるなんて(誰)。
オペラグラス買わんと。笑

そんな中川大志さんの顔と演技の良さに引っ張られている今日も広重。今回は『東海道五十三次』「岡崎 矢矧之橋」です。

東京富士美術館

◼️ファーストインプレッション

オカザエモンの地ですね。
オカザエモンがいるであろう(?)橋の向こうの岡崎城。
この地は確か徳川家康が生きた土地でしたね。この絵を描いたときには徳川も12代あたりですので家康は遥か昔の将軍なのでしょうけれど、今も昔もここを家康ゆかりの地としていたことは違いはないでしょう。

この大きな橋が矢矧橋。愛知県に流れる川はとても大きい印象です。
その橋の上を行列が進みます。
前回のように八朔御馬進献ではなさそうなので一般的な大名行列なのかな。
岡崎城に向かうのでしょうか。

橋の向こうのススキの草原と川が融合して乾燥しているのか、湿っているのかわかりにくい印象を与える背景。
その中でもススキがあると、風がそよそよと優しく吹いている印象も植え付けますね。
遠近法としては橋が上手に描かれてるのかは判断できませんが、画面に収まりきらないくらい大きく描かれ、ここが視界をも凌駕するほどの迫力であったことを感じさせますね。

今回は岡崎と岡崎城、矢矧橋の位置、そして矢矧橋を描いた他の作品を見ていきます。

◼️岡崎城、矢矧橋

岡崎城矢作橋はこれくらいの距離感。

赤ピンは岡崎城。地図の左上にある黄色い架け橋が矢作橋です。
確かに今回の絵と同じくらいの距離感ですね。

因みに前回の藤川からの距離感はこんな感じ。
直線距離8キロくらいかな。

◼️矢作橋を描いた他の作品

以前、何かで矢作橋を描いた作品を見たことがあったのでそちらを見てみます。
今回は参考書に、『東海道五十三次』「岡崎」は『東海道名所図会』を参照したと書かれていたのでそちらも実際にみていきます。

早稲田大学

『東海道名所図会』「矢矧橋」です。
詞書には
「矢矧川 霧の中と流れけり 李喬」
とあります。
調べたところ、李橋という人物はここ岡崎にゆかりのある人物らしい。

https://cms.oklab.ed.jp/oklink/index.cfm/8,218,c,html/428/o52-44.pdf

この記事の一番最後のページに「本多李橋句碑」とあり、上の歌ともう一つの歌が記載されています。
本多李橋という人物が、武将で徳川の家臣本多忠勝の11代目の忠粛の時代にその祖父の三男であった人物。ややこしいけれど、、。
この李橋が歌人で、このようにゆかりの岡崎を謳ったそう。
矢作橋を詠った歌がもう一つ。
「矢はぎ川弓はり月のかげさしてきよきながれに千鳥鳴くなり」
矢作川の清涼なイメージと、弓張月が浮かぶ静かな夜をイメージさせますね。

絵でも非常に大きな橋であることがわかります。
広重ほどの遠近感は感じられませんし、俯瞰しているにしてはのっぺりしている印象を受けますが、そうして技術的なところは無視して、矢矧橋の大きさが的確に伝わってきます。
やはり岡崎城とセットなのですね。
日本橋と江戸城と富士山みたいなセットですね。


広重『東海道風景図会』「岡崎」です。
こちらは斬新で橋の下から川を描いています。
なので橋の大きさや岡崎城の様子はわかりません。
情報が一つ。
「矢矧川 やはぎのはし 長サ二百八間」
二百八間というと、1.8メートル×208でおよそ375メートル。
向こう岸にいる人が米粒に見えるくらいの距離ですね。


MET

葛飾北斎『諸国名橋奇覧』「矢はぎのはし」です。
多分こんなに高くなかっただろうとは思います。北斎お得意の大胆な構図を用いています。
いや、もしかしらた鮮やかなだけで意外にも写実的なのかな。
川の水が干上がっていますね。なのでその分高く見えていたのですね。
しかも何かの行事が行われています。
的に向かって矢を構えている数人が見られますね。
しかも橋の上では大名行列で人がぎちぎちに描かれています。
こうしてみると、広重や図会で描かれた矢矧橋よりも賑やかな印象を与えます。

ただ、どの作品も矢矧橋が大きいことはさまざまな形でも伝わってきます。
こんなに描かれる橋というものを一度見に行ってみたいです。

今日はここまで!
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