人生にはアーカイブが必要だ
記憶力と幸せの関係: 人生にはアーカイブが必要だ。この記事では、アーカイブとバックアップの違いについて議論するとともに、ただ記憶力を高めれば良い結果に結びつくとは限らないというストーリーを展開します。
はじめに
読書をいくらしても、読んだそばからすぐに忘れてしまう。身につかない。読書の知識が使えないと悩んでいませんか。
私自身、知識は集めれば集めるほど良い、多ければ多いほど優れた結論を出すことができると考え、その結果、吹雪の夜に目の前が真っ白になる「ホワイトアウト」のような状態になった経験をしています。
その後、なんとか復帰しましたが、読むこと、考えること、書くことをもう一度基本から考え直すとても良いきっかけになりました。
今日の気づき
今日のお話は、「人生にはアーカイブが必要だ」というものです。ただ多くの本を読めば良い、大量の資料や知識を集めてくれば、より良い考え方や結論が導き出されるわけではない。
いかに今必要なもの、後から使うものに分けるか、アーカイブするかが人生には必要だというお話です。
アーカイブとは
このアーカイブという言葉ですが、調べてみると、「古文書館などと言わ言われて歴史的な価値のある古文書や芸術を保管しておく」というようなことだと言われます。
NHKでも、デジタルアーカイブとか、NHKアーカイブスというのがあって、埼玉県川口市に歴史的な品を保管して、博物館のようにして一般公開いるようです。
面白いことに、昔のテレビ番組はテープに記録をとっておいたらしいのですが、ほとんど残ってないそうです。そういうのを考えてみるともう、過去の記録や記憶が失われてしまって、もう見ることができなくなってしまう。
そういう意味で、昔のヨーロッパのところで始まったようですが、100年ぐらい前に昔のものを保存しておこうとそのままの状態で保存しておこうとか、何かそういうようなところから始まっているようですね。
キュレーションという言葉が一時ネット上で話題になりました。これは、博物館にどのような作品を展示するかを選ぶ人から来ているということです。これと同じように、アーキビストという言葉もあるそうです。これは、何を保存してアーカイブするのかを考えるような人たちをアーカイビストというようです。
バックアップとは
よく似た言葉に、「バックアップ」というのがあります。「アーカイブ」と「バックアップ」はどう違うのかというと、アーカイブが歴史的なものを保存しておく、後から取り出して研究したりとかできるようにするという意味が強くあります。
これに対してバックアップは、究極のところ、今現在の状態のデータが失われてしまわないようにする。間違って削除したような時には復旧できるとか、パソコンなどのOSが使えなくなったときに、現在の状況を復旧するというような機能を指します。
ですので現在の状況を復旧できるような、そのまま全てのものを、多くの場合には圧縮して、取り出せるようにしておくということです。
だからこそ、今現在の状態のコピーをどんどん作っていく必要があるんですね。
例えば、AppleにはTime Machineというバックアップのシステムがあります。このソフトは外付けのハードディスクなどにバックアップを作っていきます。私のMacもバックアップ取ってるんですけれども、もう目いっぱい、バックアップを取るたびにハードディスクの容量の限界まで追加していくんですね。
下手をして設定で自動バックアップなど選択すると、1時間ごとにバックアップとか取り始めます。そうするともう大変です。すぐにハードディスクはパンパンにになってしまうわけです。すると「古いものから消していきます」ということになります。
アーカイブとバックアップの違い
これに対してアーカイブというのは、使用頻度が低いものを取り出しやすいようにして別の場所に移すということです。したがって、基本的に二重のものは作らない。ですので、一度保管したものは、二重のものを作る必要はありません。削除していいわけですね。
逆に言うと、いくつも同じものがあったら困ります。必要なものを必要な時に取り出しづらいということになります。ですので、何を残すかを決め、重複したものは削除する作業が必要になってきます。一旦、取り出しやすいようにしてあるということは、逆に言うととても便利なものということができます。
ですので、取り出しやすいようにする哲学的なアプローチが必要になってきます。いつどこで作ったか、何をどんな目的で残すとかいったようなこと、特に歴史的なアーカイブというものを考えるときには、単にを整理するということではないらしいんですね。
この辺、企業の中でアーカイブを作ることを職業としている右田昌彦さんが書いているブログが大変に参考になります。(アーカイブ探求記⑤~アーカイブと図書館の整理の考え方の違い その1)
最初は、梅棹忠夫氏が今はプロダクティビティのバイブル的存在になった「知的生産の技術」で言っていた「単位」というベースで整理していったようです。また、図書館の10進分類法の整理の方法でやっても、どうしてもうまくいかないらしいんですね。
やっぱりアーカイブっていうのは歴史的な価値があるので、その歴史的なものはそのまま残す。残せない場合には、どこを修復したかとか、詳細に記録に残す必要があります。
例えばもうボロボロになった公文書とかっていうのは、そのままでは、どんどんと古くなってボロボロになってしまいます。それを修復するのは日本紙でが一番良いと言われているようです。なんとか復旧するような作業するわけですよね。
そのときに何をどこをどう直したのか、いつ直したのかという記録を残さなければいけない。そういう意味では、バックアップとアーカイブはずいぶんと違う、全くの別物というのがわかります。
「記憶力が高い=幸せ」ではない
基本、アーカイブは場所を移して、後から使えるようにする。研究できるようにするような意味合いがあるのに対して、バックアップはデータの復旧をすることが目的です。なので、そのままのデータ、同じものが元に戻るようにするのが大きな目標となります。
そうして考えてみると、私達、自分の記憶とかを考えてみるとき、自分の記憶をバックアップしようとしていないかと思えてきます。
つまり、自分の記憶が消えてしまうというのは怖い。なので、例えば「読んだら忘れない」とかいって、どんどんとバックアップのデータを追加していく。
いろんな情報をお取り込んでくけれども、もう溜め込んで溜め込んでいっぱいになるまで溜め込んでいく。何故ならば、消えてしまうのが怖いからです。
神戸大学の大准教授の増本康平さんは、人間の記憶とか心理を研究されているらしいんですが、言っています。(なぜ人は都合よく"記憶"を書き換えるのか 「記憶力が高い=幸せ」ではない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン))
「経験したことの詳細まで長期間記憶できる超記憶力を持つ人もいるだろう。だからそういう人は記憶を忘れられずに苦しんでる、私達は記憶を書き換えることで、現実に対応しているからだ。」と解説しています。
つまり、私達は都合の悪い記憶というのは消し去り消せるように脳の機能ができているようです。あまり使わない記憶というのは、自分の脳の精神衛生のためにももう忘れてしまう。
過去の記憶をアーカイブする
今自分が取り組まなければいけない必要な量だけの記録というものだけを残して、あとは取り出しやすい場所に移動するか、(無意識のうちに)記憶から消し去ろうとする。つまり、目の前に置くものと後から使うものは、気づかないうちに分けられているのです。
今必要ないものは、いったんを取り除いてどこかにしまっておく。押入れの中にしまうように仕舞うわけですね。我々の脳は、そういう機能ももともと持っているわけです。
だとすれば、溢れかえりそうになっている自分の過去の記憶をアーカイブ化して、必要なものだけを整理してどこかに置いておいて取り出せるようにしておけばいい。そんな考え方もできます。
つまり、自分の経験や知識を整理して後から有用な実施、知識をいつでも取り出せるようにする。これは別の言葉でナレッジベースと呼ばれます。
今、知識のデジタル化が格段に進んでいます。つい最近までの紙の知識の整理とは全くの別世界で、誰でもが簡単に整理整頓できるようになってきました。
あらゆる情報がインターネットから洪水のように降り注いできます。このデジタルとなった知識をどこかに後から取り出せるようにするのか。
情報や知識はバックアップしてはいけない。今必要でないものはアーカイブ化して別の場所にしまっておく。そして、必要な時に必要なだけを取り出せるようにしておく。
外部的な記憶装置、それを「外部の脳」でもいいましょうか、そういったようなところに一旦は退避させ、あとで必要となれば、いつでも取り出してすぐに使うというようなことも、一つ考えるべき時期に来ているのかもしれません。
はい。そんなところで、今日の話は人生にはアーカイブが必要だというお話でした。次回の配信もお楽しみに。