大谷由生

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これから腐り果てる君へ 第1話

 丸く空を切り取った天窓を、何かが横切る。  おそらく鳥か、あるいは大きな虫か。  少なくとも飛行機でないのはわかっている。この国にはもう、国内線も国際線も飛んでいない。  仰向けで眠っていたわたしは、朝日の眩しさではなく、光を一瞬遮った何かの影で目を覚ました。  古いログハウスの狭いロフトは、今日も朝から蒸し風呂のように暑い。  首筋に流れた汗を手の甲で拭い、かすかな違和感を覚える。ひたと手のひらを当てると、皮膚は妙に冷たかった。  あれ、首、つながっている。  当たり前だ

    • これから腐り果てる君へ 第10話

       ごうごうと、火が燃え盛る。夏の熱気とは違う、炎の熱。  森は燃えていた。ログハウスも燃えていた。空気も地面も、わたしもあなたも燃えていた。  世界を燃やし尽くす炎のようだと、有生が笑った。  わたしたちの世界を、炎が包みこんでくれる。 「さよなら、有生」 「さよなら、小織」  そして、さよならアイスクリーム。溶けたアイスは、戻らない。新しいことわざなんてなくたって、Don't cry over spilt milkで事足りる。  髪の先に火が燃え移り、一気に燃え広がった。

      • これから腐り果てる君へ 第9話

         結論は、やはり同じなのだと思った。  かつてこの事実を知ったわたしは、自死を選んだと有生が教えてくれた。今、ここにいるわたしもまた、同じ道を選ぼうとしている。次のわたしに、責任を押しつけるのか。そしてまた、いつかの未来で有生に尋ねるのだろう。彼はそのたび、誠実に答えてくれる。  ロフトに上がるために、はしごに足をかけた。二段、三段、とのぼっている途中で、不意に足元が崩れた。  折れかけていた踏み桟が、ぺき、と小さな音を立てて死んでいった。  同時に、わたしの体が床まで落下す

        • これから腐り果てる君へ 第8話

           血に濡れた衣服は、間違いなくわたしのものだった。ログハウスを見つける直前に、住人を失った民家で見つけて拝借してきたものに間違いない。  冷たい指先で触れると、布地はじっとりと血を吸い込んでいる。素人にもわかるほど、大量の出血だ。これほどの出血をしておいて、何事もなく暮らしていけるとは思えない。だとしたら、誰かが死んだと考えるのが普通だろう。  有生が、誰かを殺したのか。  あの優しい人が、いったいなぜ。  彼を犯人に仕立て上げたいわけではないのだが、この家に住んでいるのは彼

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        これから腐り果てる君へ 第1話

          これから腐り果てる君へ 第7話

           黒くぽっかり開いた口が、目の前に迫ってきたときも逃げようとは思わなかった。  彼がそうしたいのなら、わたしを食べて満たされてほしい。痛いのは嫌だけど、有生が望むならそれでいい。食べきって、わたしをすべて彼の血肉にしてくれてもかまわない。  わたしは、帝釈天に身を差し出そうとしたウサギほどの覚悟は持っていない。みずから火に飛び込むのは恐ろしい。だから、彼が食べにきてくれてよかった。  ぐじゅり、と耳元で嫌な音がした。有生の犬歯が、鎖骨に食い込む音だった。 「ぎ、ぅ……」  奥

          これから腐り果てる君へ 第7話

          これから腐り果てる君へ 第6話

          「うぁああああぁァァアアッ……!」  耳をつんざくような叫び声が、長く長く尾を引いた。  生きた人間が食いちぎられる瞬間の悲鳴は、わたしではなく有生の口から発せられている。 「はす、み、さん……」  違う。  この人は今、食糧になったのではない。  わたしを助けてくれたのだ。 「蓮見さん、蓮見さんっ、離れてください! 感染します。あなたが、感染します……っ!」 「うるさいッ! 黙って守られてなさい。俺は、自分の意思で、う、ぐぁあああァァアッ」  瞠った目から、ぼろぼろと涙が

          これから腐り果てる君へ 第6話

          これから腐り果てる君へ 第5話

           ゾンビを殺すには、首を落とすか頭をつぶすしかない。物理的に刃物を使用して首を切り落とすのは容易でないため、多くの処理場では頭部粉砕の方法を取っている。市井でゾンビ狩りをしている人間たちも、金属バットや棍棒のようなものを用いているという。  病院から逃げ出した車の中で、有生はわたしにそう語った。  想像はしていたけれど、ほんとうにそんな原始的な方法しかないのかとため息が出る。緊急事態だから、そうでもしないと処理が追いつかない。そのくらい、世間知らずのわたしにもわかっていた。

          これから腐り果てる君へ 第5話

          これから腐り果てる君へ 第4話

           鳥だ。  丸く空を切り取った天窓に、体長三十センチはありそうな大きな鳥がとまっている。体のわりに華奢な足でガラスの上を歩き、ときどきコツンとくちばしで窓を叩く。白い腹部には細い黒縞が入っていて、ボーダーのシャツを着ているようにも見えた。  右腕を庇にして、仰向けで寝転ぶわたしは鳥越しの空に視線を揺らす。鳥の影が、わたしの着ているTシャツの胸元で素早く動いた。  いつ、起きたのだろう。いや、いつから眠っていたのだろう。長時間睡眠のあとのような気だるさが、頭の中に渦を巻いている

          これから腐り果てる君へ 第4話

          これから腐り果てる君へ 第3話

          「あー、アイスクリーム、溶けちゃってる」  電力不足のせいなのか、それとも冷蔵庫の寿命なのか。最近、冷凍室も冷えが悪い。 「やっぱり、冷蔵庫がほしいね。新しいの」 「新しくなくてもいいから、ちゃんと冷えるのがいい」 「でも、ここまでどうやって運んでくる?」 「有生って運転できるよね。車も持ってたし」 「持ってはいる。だからってふたりで運ぶのはきついよ」 「台車を使ったらいいんじゃない?」 「台車に乗せるときと、下ろすときはどうするの」 「うーん」  ストロベリーミルクのカップ

          これから腐り果てる君へ 第3話

          これから腐り果てる君へ 第2話

           およそ四年前、都内で最初の仮称『不活性生命活動個体』が確認された。  アンデッド、もしくはゾンビと言ったほうがわかりやすい。ゲームや映画の中ではよく見る存在だが、そんなものが現実に現れるなんて考えもしなかった。  わたしの父は政府筋の医療機関で研究者として働いていたけれど、最初は不活性生命活動個体なるものの存在を鼻で笑っていた。わからなくない。そんなもの、いるはずがないと誰もが思った。新手のフェイクニュースに国全体が踊らされていると配信者が叫ぶ。陰謀論を唱える者もいた。  

          これから腐り果てる君へ 第2話