196 十二月二十日、輪島での災害ボランティア二日目
さて航空高校のテント室でシュラフを開いての就寝、途中で寒くて起きて厚着し、何とか翌日悪くない目覚めで起きることが出来ました。朝食は談笑室で総菜パンとおにぎりを食べたはず。部屋に帰ってシュラフの折り畳みですが、テント内が意外に狭くなかったため、家での練習の苦労がウソのように手早く仕舞うことが出来ました。
そして拠点行きボラバスへ。行先に町野と輪島があったのですが前日確認したところ私がボランティアの予約を入れていたのはやはり輪島で、二日目も続けて同じ拠点に向かったのでした。
だいたい昨日と同じ時間にキリコ会館に着き、私にとって二日目に集まったのは私を入れて24人。気温的には前日よりいくらか寒さは和らいでいましたが、復旧作業的にはよりお寒い状況でした。
今度の現場が水害対応、泥掻きだったのです。
正に山間の田舎然とした場所。遠目にはわからなかったですが
さらに近づいて撮影。
実際の作業現場はこれよりもう少し上、道路右側の側溝の搔きだしでした。作業の途中だったらしくてすでにうず高く泥が積み上げられていました。その高くなった場所に泥を積み上げるので、選んだスコップが大きく重かったため、かなり難儀した作業でした。
上の作業は確か側溝に嵌った丸太を引っ張り出そうとしているところだったはず。昼食で一旦すべての資材を軽トラに乗せて拠点に帰りました。
休憩時間は確か一時間。やはりおにぎりと総菜パン。この日はクリームシチューの炊き出しとみかんの差し入れがあり、両方とも美味しく頂きました。そして実は行き帰りに通ったのが前回のタイトル画像にした横倒しになったビル。
そう、私も一回目の輪島行きで衝撃を受けた、それにまつわる話しも知ってしまっているあのビル。半分以上切り出されたようですが一遍に解体は無理だったようで、先週の金曜日時点でまだ上の画像の状況でした。
ということは八王子市社会福祉協議会の前回の輪島行きで確認した通り、輪島朝市もすぐそこで、キリコ館との位置関係を推察することが出来ました。
午後も殆ど同じ作業。午前中で凝りて小さいスコップで作業しました。しかし午前中の作業量がたたったか、また午後は時間的にも短かったので午前中以上に戦力になれませんでした。また作業終わりの30分は資材の線上に当てられていたので、洗う現場が川になっているところで泥の地面を下る必要があり、足が不安定な私は危険と判断したのでした。
洗った資材を軽トラに積み込み、まず拠点、キリコ会館に帰還。キリコ会館から金沢駅前行きのボラバスに便乗させてもらいました。実は大江健三郎と新書を一冊ずつ持ってきたのですが、疲れたからかまだ気が張っていたからか、長いバスの間もなぜか読む気になれませんでした。
実際、シュラフを入れるために新たに買ったリュックは行きに比べて重く感じられ、非力なのにオーバーワークした自覚はありました。
新幹線と中央線で高尾駅に戻り、そこから自転車でいつもの道で帰宅。結局帰り着いたのが〇時14分。その日のうちに帰ることは出来なかったのでした。
以上が私の今回の輪島ボランティアの概略です。今回も様々なことを考えた貴重な体験でした。やはり能登、日本の未来予想図という私の意見が間違っていないと思えた旅でした。(大塩高志)