115 マンガ『タッチ』が解放したこと。
月末の金曜日に『朝まで生テレビ』を録画して、翌日とその次の日に視聴するため、アニメ視聴は後回しになってて。特に今季は少なくとも二回観てnoteするので、『小市民シリーズ』を一回観ただけの今日はエアポケットになってて。だから今日は旧作、しかも国民的なマンガ、アニメの一つ、『タッチ』について語ることにします。
それにしてもなんで、ぼっちちゃんのアナーキーな表現をタイトル画像にしたのか、ラブコメとスポーツ漫画を融合した『タッチ』とはほど遠いと思われたでしょうが、実は『タッチ』あっての『ぼっち・ざ・ろっく』(の表現)という面もあるのです。
あだち充の『タッチ』、そのアニメ版、その影響はスポ根物に止めを刺したり、少年マンガに全面的に青春を描いたりと画期的なことはいくつかあるのですが、今回は変化球、マンガとギャグ、コメディについて論じたいと思います。
元々マンガはギャグやコメディであり、手塚マンガのキャラは丸みをおびて愛らしく、トキワ荘出身に限っても赤塚不二夫や藤子不二雄といった笑いを取れるマンガ家がいた。しかし劇画はマンガをより真面目に表現することを可能にした。ところが劇画は手塚マンガを全く否定することは出来なかったのです。
どういうことかといと、手塚はマンガを通俗文化としていたため、重くなる話の展開でも笑いを取るのを劇画以前から忘れてなかったのです。その文化的遺伝子、ミームを劇画も無視する訳には行かず、例えば『巨人の星』では伴忠太、『あしたのジョー』ではジョーを慕う子供たちをコメディやギャグ担当にしたのです。ジョーは結構チャラいキャラだからコメディをやらせても不自然でないが、星飛雄馬は真面目過ぎるため、ボケを担当させて笑いを取るキャラにはなれなかったのです。しかしジョーも特に減量した力石との対戦以後、ボクシングを真面目に考えるようになったと思う。
しかし『タッチ』です。序盤は和也、カッちゃんが主人公かと思えるほどなので、達也、タッちゃんはこんな表情をしていられた。
そう、『タッチ』は主人公の上杉達也自身がギャグやコメディの犠牲になってるのです。ぼっちちゃんのアナーキーな心象表現、アニメから入った私はそのロックな表現に大いに楽しみましたが、その源流をたどると『タッチ』での上杉達也の表現、扱いに行きつくと思うのです。しかも凄いのは和也が他界してからも、タッちゃん劇場のコメディは衰えなかったこと。和也の髪型で孝太郎に毒舌を言ったり、野球部入部の時にそっぽを向いたり。
柏葉英二郎が代理監督として入部し、一段と苛烈な話になっても。勢南の西村が明青に来た時、成り行きで勝負した達也に勝つ。それは西村のカーブを攻略したと思った達也が、待ってたと違うストレートを空振りする場面だけど、ここでしっかり上杉達也はボケの役回りになったのでした。
このコメディもできる主人公、上杉達也がいたからこそ前期のガルクラ、9話の仁菜と桃香のしょーもない扱いがあるわけで、その意味でもあだち充の『タッチ』が少年マンガに及ぼした影響は計り知れないと思うのです。(大塩高志)