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142 八王子市社会福祉協議会、輪島に行く⑤(終) 10/12 二日目の輪島

 輪島から帰って半月。これをもうととるかまだととるかですが、書ききっていないという意味ではもうですが、実感としたはまだです。といっても記憶には残っているので、どう私の脳で処理していいか分からなかったりします。
 さて二日目。一件目は確か廃棄物の受け取り。でも通常のごみ出しで出すごみもあったため、それを除いて受け取りました。分別が曖昧なごみも含めて処理場に持って行ってもらい、後で返品しないで済んだという連絡がありました。
 一旦たすけあいセンターに帰り、次に指名されたのはまたしても民家。二階家の二階を掃除して欲しいとのことでした。しかし行ってみるとすでに作業は終わっていました。聞けば能登豪雨の日にボランティアが来てくれる予定だったのを、私たち八王子組が行った10月12日に繰り延べしたらしいのです。しかし家の人はすぐにでも片づけたいので、その間に家族で片づけたらしいのです。もちろん八王子からはるばる来たボランティアの私としては消化不良でしたが、これまでも似たケースはあったので落胆はしなかったです。それに八王子の社協の人からボランティアはボランティアをする人のためでなく、ボランティアを頼む人のためだとことあるごととに言ってくれていたので、こういうものだと落ち着けたのです。
 そして再びたすけあいセンターに帰り、時間も中途半端だからこれまでかと思っていたところ、前日と同じ泥掻きの仕事を振ってくれたのです。今度は民家でなく保育園で、土曜保育をやっているところだったので八王子組全員、八王子市社協のチャーターバスで行ったのです。
 行ってみると意外と広い園庭があり、そこに山積みになった泥を土嚢袋に詰めることとバスを降りる前に見当を付けました。それは全くの間違いで、泥の山は泥を積み上げる場所。実は一見何の被害もなさそうな園庭、実は前日作業した民家のように泥が押し流されて来たようなのです。積まれた泥の山がその証拠で、まだ全部掻ききっておらず、園庭を囲う塀の内側などにまだ積み重なった泥があるとのことでした。
 今回は土嚢袋に詰めることはせず、ネコと通称される一輪車にそのまま山盛りにしていきまとした。ある程度積んだら園庭に出現した泥の山に降ろしていきます。本来の地面がだいたい見え、地面を均して一応終えた後、今度は遊具の周りの一角の泥掻きをしました。
 そして完全除去とは言えないですが時間切れで作業終了となり、これにて八王子市社会福祉協議会としての今回の輪島でのボランティア活動を終えたのです。しかしその旨をたすけあいセンターに全員で報告することはせず、私たちボランティア要員は輪島駅で昼食をとり、そのまま帰路に就くことにしたのです。
 実は前日に作業の合間に立ち寄った場所で、駅としては2001年に廃止されましたが今は「ふらっと訪夢」、道の駅として運用されています。

輪島駅の線路
輪島駅の看板

 かつての細長い駅舎は今は食堂が並び、私は仲間の数人とその中の一件でうどんを食べたのです。それというのも前日の昼と夜に弁当をたっぷり食べ、この日の朝食をサンドイッチと小さいカップ麺で済ませたものの、それほどお腹が空いていなかったのです。

 十分休憩をとった後にふらっと訪夢を後にし、今度は二日目の休憩場所に帰りました。そこで自分が持ってきた荷物の一切合切を詰め込み、新高岡までバスに乗ったのです。その時に作業服から着替えたので、バスの座席からビニールが取られ、本来のシートの感触を堪能することが出来ました。
 しかしその道は行きと同様に凸凹と迂回の連続。でもスマホの電池が切れて窓外の撮影をし損ないました。それに物見遊山の撮影は憚られたし。しかしすぐに新高岡でチャーターバスとお別れすることはせず、まずイオンモール高岡で夕食を摂ります。といっても昼食からあまり時間が経っていないので私は弁当を買って新幹線で食べることにしました。
 そしてイオンモールからほど近い新高岡まで乗せてもらい、そこでチャーターバスと運転手さんにお別れの挨拶をしたのです。結構万感の別れで、私も惜しみない感謝の言葉をかけました。
 新高岡から富山、富山から大宮と新幹線を乗り継ぐのですが、そこから先も在来線を細かく乗り換えたのです。なので意外に体力を使い、汗はボランティアよりも掻いたと思ってしまうほど。
 それでもJR八王子駅で解散した後で自転車に乗り、帰った時刻が23時27分。就寝は日をまたいでしまいましたがその日のうちに帰宅でしたのでした。(大塩高志)

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