見出し画像

200 今年の抱負、能登と八王子について

 NHKなんてテレビもラジオもガン無視しかねないと思ったけど、さすがに何だかんだ言ってジャーナリズムの端くれ。そんなことはなかった。テレビの方でも特集番組を今日放送してくれるし。新聞も私が今日チェックした朝日新聞はページをとって報道してくれていたのでひとまず安心した次第。
 やはり一月一日だろうと地震から一年、能登半島地震を報道しないで何がジャーナリズムかと、頑張ってくれたマスコミの人がいたらしい。その点では日本のマスコミ、まだ可能性はあると安堵しました。
 さて今後の私の能登通いですがボランティア活動は輪島中心に継続するつもりです。しかし一方で昨年の震災一年目はボランティアの現場であまりにも目の前の仕事に忙殺されてしまい、能登を考える気持ちの余裕がありませんでした。
 なので今年は、昨年にアニメの聖地の震災により通うようになった能登地方、もともと文化的、社会的、地理的に日本の中の何なのか、考察する年にしたいと思っています。
 取り敢えず取っ掛かりは「能登はやさしや土までも」、そして古典文学。何せ『めぞん一刻』で金沢に行く話があったり、そもそも五代君のガールフレンドの苗字が七尾だったのに、それを私が能登半島に関連付けるのは『君は歩インソムニア』を観るてからという体たらく。
 しかし国や(石川)県が能登見限りを画策している現在、能登の文化を持続していくためにはこれまでの能登を知る必要があると外野の一人として思うようになったのです。それは能登見限りが容易に日本の地方都市の切り捨てに結び付くと思うからで、八王子だって飯能だって例外でないと思うのです。それは悪い意味で明治以来の中央集権国家の完成。
 平成の大合併だって地方が国に丸め込まれた政策と私は思ってて。何故って東京23区はそのままだから。他の県では市の中に区がある場合があり、東京都もかつては東京市があったと知った時、わかったのでした。東京都は、国は、東京市が邪魔だからつぶしたんだと。
 しかしここまで地方と国家の問題を言う以上、私も能登とともに八王子のことを知る必要があります。八王子はなぜ大きくなってきたのか、明治以来どう変遷してきたのか、戦争の時代どう市として、市民として対応したのか、戦後復興はどう行われたか、八王子の未来を展望するためにもここら辺の情報や知見が必要かと。
 私が知ってるのは陣馬街道と甲州街道の推移だけなので、他の地域の歴史や展開を知って八王子とは何なのか。知っていこうと思っています。(大塩高志)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集