その手はつなげない −好きにならずにいられてよかった〈2〉
“男友だち”というくくりに入れている男子と一緒に居るのは、ラクな反面、感情のメトロノームの針が行ったり来たりする。
私のことを彼は女性として意識したことがあるだろうか? ないだろうなー。だから平気で「あの子すげえエロい」とか「この前ウン○漏らしちゃった」とか言うんだろうな。……とか、恋愛感情と友情との狭間で期待と抑制のリズムをあらゆるテンポでとにかく刻む。
でも、よく聞く「10年来の友人関係から→恋愛→結婚に発展!」というミラクルラブストーリーみたいな神話が頭のどこかにずっとチラついて。
ドキドキしなくても一緒に居てヤじゃないし結婚はアリなのかも、どうだろう。いや、どう? ないよなー。今さら手つなぐとかこっ恥ずかしいし、キスするったって顔がテーブル一つ挟んだ分より近づくなんてちょっと待ってほしい。
男友だちなんてそんな針が左右をカチコチの繰り返しだ。
それでも、相手の動向はあれこれチェックしてしまうもので、「服ちゃんと洗濯しててクサくない」とか「食べものをおいしく食べる」とか「小指の爪を伸ばしていない」(←これ重要!!)とか、気にも留めないフリをしながら、昔むかしの神話の扉が開かれる相手かどうか窺ったりしている。
ある夜。居心地がラクな男友だちと一杯やっていて、彼の入った後のトイレで便座のみならずフタまで下がっているのを見て大いに感動した瞬間までは良かった。
お、いいじゃん! 育ちのいい子なんだな〜。節電になるし、風水的にも「金運UP & 気の流れを整える」らしいし、いいじゃん。私はたまにしか閉めないけどね。
それに、こうした習慣は、母親や歴代付き合ってきた彼女に指導・要求され、そうすることがたとえ本人の意思ではなかったとしても、彼女らの意思を尊重(?)して許容したってことでしょう。いいじゃーん。良いパートナーになれるかも。
と、ここまでは良かった。天岩戸(あまのいわと)にこもった天照大神(あまてらすおおみかみ)が、自らを幽閉していた洞窟の扉―ここで言うところの恋愛市場へのゲート、を開きつつあった。ゴゴゴ……
が、手を洗おうと洗面台に手を伸ばすと……ゴゴ……ゴ? 濡れていない。洗面台が一切濡れていないのだった。
手、洗ってない?
ゴッ。扉の動きが止まった。そっかーぁ。「トイレの後に手を洗わない男性は多い」とはよく聞くけど、そっかそっか。
まぁ実際、知らなかったらなんでもないことだよ。好きなら全然。人は見た目でも保菌率でもないしね! でも、引き返すなら……今かな?
ゴゴゴ……扉が再び動き始め、岩戸が閉じられようとしていた。
いや待って。ゴゴ。濡れた洗面台をペーパータオルで全部拭いたとか!? いるよね、水周りに気を遣う人。そういうこと!?
……や、ゴミ箱空っぽ。
言わんこっちゃない! だから言ったよね、振り返っちゃダメ! 今のうちに振り切るの!
ゴーーーン。岩戸は閉じられた。
店を出て並んで歩く帰り道、私はいつも以上にドキドキしながらポッケに手を突っ込んでいた。急に手をにぎられたらこそばゆいから? いや、急に手をにぎられたら「ひゃっ!」て言っちゃいそうだから。だってその手、洗ってないよね。
だから、よかった。好きにならずにいられてよかった、はず。
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