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23年3月4日 その5670『逢坂誠二の徒然日記』(7367)

夜明け前の函館は、空全体に薄雲が広がっていますが、東の地平線付近が徐々に赤くなってきました。朝の気温は氷点下1度程度、日中は5度程度、晴れの見込みです。

1)「安全基準」は安全神話への先祖返りだ
最近、原子力規制委員会の山中委員長が、新しい規制基準のことを繰り返し「安全基準」と言っています。かつて規制委員会でこのことに対する議論があり、山中委員長が「安全基準」と発言するのは、その議論を無視しています。

何度も繰り返しますが、3.11以前は、規制と推進が同じ役所にあって、最終的には「規制の虜」となり、あの事故につながっています。そこで規制と推進を分離することを目的に、環境省の外局として、独立性の高い原子力規制委員会が設置されました。環境省の外局ではありますが、環境大臣も規制の内容には踏み込めないのが基本ルールです。原子力規制庁はその規制委員会の事務局です。(ちなみに推進側は、経済産業省の資源エネルギー庁です。)

2013年に新しい規制の基準(当初は、「安全基準」と呼んでいました。)を決める際、パブリックコメントを行なっています。その中に次の意見がありました。
「安全基準は安全を保証するものではないと思うので、新規制基準に変更したほうがあっているのでは?」

このような意見や記者会見での指摘もあって、同年4月3日の規制委員会の第1回会議で、当時の田中委員長が次の発言をしました。
「安全基準というと、基準さえ満たせば安全であるという誤解を呼ぶことがあって(中略)、今日ここで皆さんのご賛同をいただければ、今後は「規制基準」ということで、私どもの文章も統一していきたいと思うんですが、よろしいでしょうか」

この田中委員長の発言には異論がなく、それ以降、「規制基準」と呼ぶようになったのです。その際の議論には次のような指摘もありました。
「基準を決めれば、それが安全を確保するということではなくて、言わばミニマムの基準であって、安全確保に第一義的な責任を有する事業者において、絶えず改善のための努力が必要であり、規制当局側としても、そういう考えで取り組んいくものである」

原子力規制庁の原発に対する基準は、安全基準ではなく「規制基準」であることが明確に確認されているのです。それを山中委員長は、あえて「安全基準」と呼び、いかにもこの基準を守れば安全であるかのような印象を振りまいているのです。酷い話です。

あの事故からたった12年、新規制基準を決めてからもたった10年、こんな時間軸の中でも安全神話が作られ、規制の虜になってしまうのです。極めて怖い現実です。このことに限らず、日本の原子力規制が危機に瀕しています。

なお原子力規制庁の職員は今年 1月1日時点で1,018名ですが、経産省出身者が157人、文科省出身者が78人、環境省出身者が24人で、圧倒的に経産省が多いのです。管理職 76人の内訳は、経産省33人、文科省15人、環境省6人です。環境省の外局とは名ばかりで、経産省の出先のように私には見えます。

さあ今日も ブレずに曲げずに、確実に前進します。

===2023.3.4===
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