赤いスイートピー
そのころ、朝ドラでマナカナが劇中歌として『赤いスイートピー』を歌っていた。何年前だろうか。
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アイキャッチ画像とタイトル、冒頭の文章。
1カ月前に自分の手で画像を探し、タイトルを考え、書き始めたはずなのに、何を書きたかったのか全く思い出せない。いや、訂正しよう。正確には思い当たる節はある。だが、noteに書くほどのボリュームにならないだろうという、たった一つの出来事しかない。それなのにこの1カ月、「下書き」に保存されたままだった。
何を思ってこれを書こうとしたのだろうか。
仮に書くとしたら...やっぱりあれしかない。
小学5年生の時のことだ。
小学5年生というと2010年のはずだ。
(余談だが、こういう話をすると他の地域おこし協力隊員から悲鳴に似た声が上がる。ごめんなさいね、あなたが思うよりまだ若いんです)
当時僕は、大阪府豊中市の中豊島小学校に通っていた。中豊島では、毎年5年生が恒例行事として林間学舎に行っていた。夏休みの冒頭3日間くらいを使って、兵庫県の山奥に出かけたのだ。その山奥とは、養父市の奥の方のハチ高原だった。すぐ近くの鉢伏山に上ったり、山のふもとでちゃっちいビニル製の凧を揚げたり、真っ暗闇の田舎道で肝試しをしたり、何かよくわからない場所でオルゴール付き思い出板みたいなのをつくった。キャンプファイヤーでフォークダンスと称して変なダンスを踊らされたり、飯盒でカレー作ったり、ニジマスのつかみ取りをしたんだっけ。何か後の時代の違う記憶も混ざっている気がするが、まぁいいだろう。
悪夢のフォークダンス
思えば、この林間学舎に向けた準備は結構壮大で、かなり前からあれやこれやとやらされていた気がする。そのうちの一つが、さっき言ったフォークダンスの練習だった。そもそもフォークダンスなんて代物、初耳だった。folkなんて単語は知らなかった。そして、folkやフォークダンスの意味を知った今となっては、当時のあれはフォークダンスではなかっただろうと思う。
昼休みに多目的室で練習が行われた。はじめてフォークダンスの曲を聞かされた時、いや、映像とともに見せられた時、僕は心の底から怒り、それはすぐに軽蔑の念へと変容した。こんなふざけたもの、誰がやってたまるかと。
どうも当時大人気だったらしい『ピラメキーノ』とかいうテレ東系列のテレビ番組内で作られた楽曲らしかった。それがこれだ。
今でこそ、寛容な態度で何とか最後まで見られる。
だが、当時基本的に真面目だった僕は、大げさではなく本当に絶句した。虫唾が走った。嬉々として踊っている奴の気が知れなかった。わけのわからぬ歌詞と言い、視覚的な下品さと言い、すべてが理解不能だった。生理的に無理という言い回しがあるが、まさにそれだった。
嬉しいことに類は友を呼ぶらしい。同様の拒絶反応を示した友人が何人かいた。はじめて衝撃映像を見せられた時は、今すぐにでも東大安田講堂に立てこもろうとせんばかりに激情的にこの曲、そしてそれを選んだ教師どもを糾弾したのを覚えている。どうも生まれる時代を間違えたらしい。安易に子どもの流行りを取り入れ、得意げになっている教師の面が気に食わなかった。
我が家では平日夕方はMBS『ちちんぷいぷい』と相場が決まっていた。「ロザンの道案内しよ!」や「昨夜のシンデレラ」といったコーナーが好きだったような人間なのだ、そんな『ピラメキーノ』などという子どもだましの俗っぽい番組に惹かれるわけがなかった。ただ、何も『ちちんぷいぷい』が高尚な番組だとは思わない。だが両者では、俗っぽさの方向性が違う。そしてそもそも、出会う余地がなかったのだ。『ぷいぷい』の後はNHKなのだ。基本NHKの家庭だったのだ。見たい番組がない限りNHK。見たい番組も高確率でNHK。見るものなければサンテレビで阪神戦か、NHKに戻る。そういう家庭だったのだから、知る由もないのだ。
とにかく嫌だった僕は、フォークダンスの練習がことさら憂鬱で、あからさまにサボったりもした。ばかばかしくてやってらんなかった。クソみたいな映像を必死になって目で追いかけて踊ることの何が楽しいのか。
そして本番を迎えた。キャンプファイヤーはただただ目の前の炎がでかかった。それだけだ。
そして、いつの間にか件の曲が流れてきた...のだったか。いや、トラブルか何かで音楽が流れなかったような気もする。覚えていない。思い出す必要性もない。あっけなく終わったことだけは確かだ。
ドドスコ
基本的に流行りとは無縁の人生を送ってきたが、こういうときにそれが顕著になるのだ。
似たような場面に何度か遭遇してきたが、林間学舎と同じ小5の時にもう一つ大きな衝撃を受けたものがある。楽しんごだ。
小学校というのは、場所や担任の方針にもよるだろうが、給食の時に机をくっつけてグループにすることが多い。中豊島も例外ではなく、そうしていた。あるグループの時のことだ。斜め前の女子と隣の女子がどういう流れだったか全く覚えていないが、楽しんごのネタをやったのだ。わけがわからなかった。その日はわけがわからない、得体のしれないものを見たという感じで終わった。
後日、僕は大好きなアルセーヌ・ルパンシリーズを朝から読んでいた。贅沢な日曜日の朝だ。なんで曜日まで覚えているのか。背を向けたテレビで放送されていたのが「サンデージャポン」だったからだ。その番組に楽しんごがゲストで出ていたらしく、ネタを披露したのだ。その瞬間、思わず身震いし、寒気がした。なんら盛っていない。本当に寒気がした。あの女子がやっていたやつだと。読書を邪魔されて不愉快極まりなかった。あの男は一体何だったのか。今でも謎である。
赤いスイートピー
流行りを知らないことで周囲に心底驚かれ、引かれるなんてのはエピソードに事欠かないが、それはまた別の機会に書くとして、そろそろ本題の話をしようではないか。
林間学舎へはバス2台で向かった。中豊島小学校からハチ高原の宿泊先までは片道約3時間の行程であった。当然、ただ徒に3時間を過ごすのではなく、音楽が始終かかっていた。この音楽は自分たちでリクエストした曲たちなのだ。それをクラスごとに何曲か選んで出すという仕組みだったか、そのリクエストの際に事件は起きた。
当時、僕は5年3組だった。
担任の先生は、将来かなりコテコテの大阪のおばちゃんになることが宿命づけれているような言動をする人だった。
推薦曲をクラスとして決めなくてはいけないという時に、学校でありがちな、全員が黙り込む雰囲気になったのだったろうか、はっきりとは覚えていないが、いずれにしろ、大阪のおばちゃん予備軍先生がしびれを切らす形で「一人一曲考えてきぃや。宿題やで!」と言って週末を迎えたのだった。地獄だった。好きな曲なんてないのだ。今どきの曲など知らない。福山の曲は何曲か知っていたが、どうも違う。しっくりこない。さあ、どうしようか。母親に相談した。そんなことで悩みすぎでしょと言われたはずだが、それでも聞いた。どんな宿題よりも難しかった。
そして一つ思いついていた楽曲があった。
それが『赤いスイートピー』だった。
そのころ、NHK(やはりNHK)の朝の連続テレビ小説(朝ドラ)でマナカナが劇中歌として『赤いスイートピー』を歌っていたのだ。何年前のことだろうか。
2008年度の放送とある。15年前らしい。ストーリーは全く覚えていないが、『赤いスイートピー』だけは鮮明に記憶に残っている。
単純にいい曲だなと思った。
...もうこれしかなかった。迷いを振り切り、昭和の名曲にかけることに決めた。
迎えた週明けの学活。
教室の端っこ先頭の生徒から順に1曲ずつ口に出していった。
どういう風の吹きまわしか、野球少年たちが裏で口を合わせ『タッチ』を連発し、女子たちは『ルーズリーフ』なる曲を連発していた。そんななか、自分の番が来た。
『赤いスイートピー』
平静を装い、一気に言い放った。特に空気が変わった気配は感じられなかった。一瞬静寂が訪れた気がしたが、何事もなかったかのように、皆どんどん発言していった。
その後は多くの支持を集めた曲に絞って再度聞かれたのだったっけ。覚えていない。
授業終わり後、僕のことを「国語の神様」と呼んでいた「下ネタの神様」のSが話しかけてきた。
「(僕の名前)~!『赤いスイートピー』ってあれでしょぉ、いい曲だよねぇ」
多分、こんなことを言っていた気がする。相変わらずさわやか成分ゼロの粘着質な声音でそう言われた。もう覚えていないが。ただ話しかけられたのは確かだ。
特に多くの人に触れられることもなく、事なきを得た。助かった。聖子ちゃん万歳だ。いや、マナカナよ。だんだん。おかげで、心の岸辺に確かに赤いスイートピーが咲いた。
どうだ。こういう場で『赤いスイートピー』って言っちゃうのが僕という人間なのだ。今でも曲に限らず流行りは知らない。もうそれは笑えるくらいに知らない。そりゃ、こういう普通とはいいがたい人間になりますよねって自分でも思ってしまう。
さぁ、いざ蓋を開けたらどうか。
『赤いスイートピー』が選ばれないのは当然として、組織票のはずの『タッチ』も選ばれていなかった。最終的にどのように選ばれたのかはわからない。
当時、どんな曲が選ばれたのか。今年、思いがけずそれを知ることになった。実家で当時の『歌集』が出てきたのだ。なんでこんなものを取っておいたのかというと、自分が大阪から留萌に引っ越すタイミングで、大阪のおばちゃん予備軍の先生が林間の時の楽曲をCDに焼いて渡してくれたのだ。だから、その歌集も一緒に取っておいたらしい。さすがに懐かしかった。以下、歌集を紐解いて楽曲一覧を見てみよう。
嵐と遊助とGReeeeNの独壇場だ(笑)
でも、それ以外のアーティストの楽曲も存在感がある。いや、マジで懐かしい。
で、この一覧を見るに、当時でも半分くらいは知っていたのではないだろうか。どこかで耳にしていたのだと思う。無意識的に聞いていた曲たちが選ばれたのだ。
知らない曲も、片道で3回、往復で6回も聞かされすっかり馴染みの曲となった。そう、バスはちょうど曲が3巡したころに到着したのだ。
やはり、このラインナップに『赤いスイートピー』が入る余地はなかった。それに往復で6回も聞くような曲ではないもの。
これでよかったのだ。
だからこそ、今でも好きでいられるのかもしれない。
これからも末永いお付き合いをよろしくお願いします。
『赤いスイートピー』。
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