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水菜感覚で

昼、サッポロ一番塩ラーメンに水菜を1パック丸々入れて食べてやった。最初は「半分くらいでいいかな」と思っていたのだが、なんだか途中で「ええい、めんどくさい!」となり、全部まとめて鍋にぶち込んだのだ。一瞬の衝動に突き動かされたこの行動には我ながら痺れた。客観的に見て、非常にかっこいいと言わざるを得ない。漫画だったら見開きだ。

普段から自分のことを俯瞰で見てしまう癖があり、思いついたことを一度脳内で検討した上で行動に移したり移さなかったりすることが多いのだが、今回の水菜投入に関しては、そのまどろっこしいプロセスをすっ飛ばして思いのままに動いたという実感がある。人の目とか(家に一人ではあったが)、世間体とか、常識とか、そういったものを一切気にせずに、僕は鍋に水菜を入れたのだ。「自分がそうしたい」という、ただそれだけを理由として。

きっと世の中には、人生そのものをこの感じでやっていける人もいるのだろう。自分がもしそのタイプだったらどうだったろうかと考えることもあるが、ないものねだりをしても仕方がないし、もしかしたら悪い方に転がっている可能性もある。結局、たまに吹っ切れてやることが「水菜を全部ラーメンに入れる」くらいのスケールであるのが、良くも悪くも自分という人間なのだ。その上でどう生きるか、ということでしかないのである。

せっかくだから、『その上でどう生きるか』という映画でも作るか。水菜感覚で。

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