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激うまヘプバーンと人殺しの目
タクシーに乗ったら、助手席のシートの裏にめちゃくちゃ上手いオードリー・ヘプバーンのイラストが貼ってあった。鉛筆で写真のようにリアルに描かれていて素人目に見てもかなりの腕前だ。運転手が趣味で描いた作品だろうか。
僕は基本的に、タクシーだろうが飲食店だろうが理髪店だろうが、全然会話をしたくないタイプだ。話しかけられそうな気配を察するとイヤホンを装着し、ノイズキャンセル機能をフル活用して心をシャットアウトする。それでも話しかけられてしまったら、「そうなんですね~(では、この話はここまでで)」を連発して幕引きを図る。
だが今回はこのイラストが妙に気になってしまって、珍しく自分から話しかけることにした。「これ運転手さんが描かれたんですか?」と聞くと、「そうですよ。60まで映画の看板描いてたんです」とのこと。思わぬ情報にテンションが上がり、「映画の看板やられてたんですか!」と食いつくと、運転手はこれまでの人生をダイジェストで語ってくれた。
看板絵の職人に弟子入りして最初の2年はとにかく辛かったらしい。今と違って「師匠」で検索すると予測変換に「暴力」、その次に「理不尽」が出てくるような時代である。ご多分に漏れずめちゃくちゃ殴られたそうだ。言ってないけど、スト2のボーナスステージの車状態だったらしい。言ってないけど。下積みを経て無事看板絵職人になってからも体力的にキツい日々が続き、体力作りのためにと30歳で空手を習い始めた。
60歳で看板絵の仕事をやめると旅に出て、アジア諸国を2年ほど巡った。空手の経験を活かしてタイでキックボクシングもやったという。ミャンマーの紛争地域では、街角に立つ兵士に話しかけようとしたが、目を見て話すのをやめたこともあるそうだ。「空手をやっているとヤクザ者なんかは目を見ればわかるようになるけど、それとは比較にならなかったね」と語っていた。「あれは何人もの人を殺した人の目だね」と。
そして帰国後、タクシーの仕事を始めて現在に至る。かれこれ20年近くのキャリアだそうで、ということはもう80歳近い年齢である。年齢を聞いて「見えな~い」と言うやりとりほど無駄なものはないと常日頃思っているのだが、普通に驚いて「若いですね~」と言ってしまった。運転手は「今でも空手を続けているから体が丈夫なんですよ」と笑う。絵はもう飽きてしまって描いていないらしく、このオードリー・ヘプバーンの絵は2014年に描いたものだそうだ。2014年にどんな流れでオードリー・ヘプバーンを描くことになったのか、少し気になったが聞かなかった。
タクシーに人殺しを乗せたこともあるらしい。乗ってきた男が突然「人を殺してきました。新聞に出ると思います」と言ってきて、後日新聞を見ると本当に載っていたという。運転手は当時を振り返り「言われてみればたしかに人殺しの目をしていた」と語っていた。どうやら、人殺し特有の目を見極める能力にはかなりの自信があるようだ。10人の中に何人か人殺しを混ぜて「人殺めてる?殺めてない?クイズ」をやったらパーフェクトいけるのではないか。機会があれば是非挑戦してほしい。
もっといろいろ聞きたかったが、残念ながら目的地に着いてしまった。こんな風に思ったのは初めてである。降り際に「よかったらその絵差し上げますよ」と言われ、僕がもらっていいものだろうかと恐縮しつつよく見たらコピーだったので、なんだコピーかいと思ってありがたく頂戴した。オードリー・ヘプバーンにこれといって思い入れはないのだが、この絵は割と嬉しかった。
帰宅して鏡を見ながら「人殺しの目」を練習してみた。正解はわからないがおそらく全然できていないのだろう。もらった絵は壁に貼って飾った。
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