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合わないスマホカバー

先日、スマホを新しくしたのでスマホカバーを買ったら、合わない形のものを選んでしまっていた。パッケージにはどの型のスマホに合うのかがちゃんと書いてあり、それを読んだ上で「これだな」と思って買ったにもかかわらず、である。一体何がどうなっているんだ。

合わないスマホカバーほど使い道のないものはない。スマホをカバーするために生まれてきたのに、スマホをカバーできないのだから当然だ。とりあえず机に置いてみたり、手に持って色々な角度から眺めてみたりしたが、少しも面白くはなかった。2000円くらいしたのに馬鹿みたいだ。映画が一本観れる値段である。どれだけハズレの映画でも、スマホカバーを2時間眺めるよりは面白いはずだ。喋るし。カット割とかあるし。あーあ、損した。2000円で虚無を買ってしまった。あーあ。

この日は必要なものを買ったりやらなければならない用事を複数個済ませたりして、自分にしてはちゃんとした一日を過ごせたという評価を下していたのだ。それなのに台無しである。自分もこんな有意義な一日を過ごせるんだ、と自己肯定感的なものも上がったりしていたのに。それもこれもスマホカバーのせいだ。ひいてはスマホのせいだ。となるとスティーブ・ジョブズのせいなのか?わからんけど。ちくしょう、どこに怒りをぶつければいいのだ。

とりあえず、差し当たっては新しいスマホカバーを買わなければならない。2000円の出費は腹立たしいがこればかりは仕方がないだろう。手元の使い道のないカバーは捨てるしかないのだが、なんかもったいない気がしてすぐには捨てられない気がする。取っておいても何も使い道はないのに。そしてどうせ後々捨てるのに。

なんというか、国連がまったく盛り上がらないタイプの「MOTTAINAI!!」である。

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