たろうと◯◯たろう
名前が「たろう」の人と話す機会があった。僕も「しんたろう」という「たろう」系の名前であるため親しみを感じるのと同時に、何の装飾もない「たろう」の王道的なかっこよさに憧れる部分もある。
何せ「たろう」だ。こんなに通りのいい名前が他にあるだろうか。定番でありながら完成形。圧倒的な華があり、無数に存在する日本人男性の名前の中において、間違いなくセンターに君臨している名前である。さらに、構造がシンプルであるが故の強度があり時代に左右されることがない。それがキングオブ名前「たろう」なのだ。
「しんたろう」などの「○○たろう」系の名前は、○○+たろうという構造であるため、つなぎ目部分の強度に若干の不安がある。しっかり接着してはいるし表面もヤスリがけでなめらかに仕上げてはいるものの、どうしても脆さは否めないのだ。「しん」部分と「たろう」部分を握って思い切り力を加えられると、ポッキリいってしまう感じがする。その点つなぎ目のない「たろう」は強い。一つのアルミの塊から削り出された部品のような強度を誇っているのだ。
だが、「たろう」本人からするといいことばかりではないらしい。少年時代は「ちからたろう」などのワードが出るたびにからかわれたりと、気苦労も多かったそうだ。王道であるからこそ、あらゆる「たろう」系のムーブメントの影響を一手に引き受けなければならない「たろう」の苦悩。なるほど「しんたろう」にはわからない側面である。
さらに、役所や銀行の用紙の記入例に「銀行 太郎」のような名前が使われているのを見ると複雑な気持ちになるそうだ。自分が一生を添い遂げる名前が、「こんなやついないですけどね」みたいな感じでとりあえずの例として使われているのである。想像したこともなかったが、それはたしかに思うところはあるかもしれない。
名付け親の試行錯誤の跡が見えない、とも言っていた。「○○たろう」という名前の「○○」部分には、子に対する願いが込められている。どんなたろうになって欲しいのか、親の思いが「○○」部分に現れるというのだ。たしかに、僕の「しんたろう」の「しん」は漢字で書くと「紳」であり、紳士的な人間になって欲しいという意図があると聞いた記憶がある。それに対して「たろう」は、どんな人間になって欲しいのかの思いが伝わってこないというのである。「○○たろう」サイドからすると、小細工なしで勝負している潔さがかっこよく見えたりするのだが、それは無い物ねだりというものだろう。
シンプルな「たろう」にしろ「○○たろう」にしろ、「たろう」系の名前にはそれぞれ何かしらの思いがあるのである。それらを持ち寄って「たろう」について語り合う会を開きたいですね、という話にもなった。機会があれば実現したいものである。
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