ポンプフューリーはあなたに
駅で偽HIKAKINみたいな人がポンプフューリーのスニーカーを履いて歩いていた。赤と黄色のド派手なカラーリングが目を引いて、つい靴ばかりを見てしまう。偽HIKAKINも髪を明るく染めたり特徴的なデニムのセットアップを着ていたりして決して地味な出立ちではないのだが、ポンプフューリーの主張の前ではやや霞んでしまっている印象だった。
これが仮に本HIKAKINであった場合話は変わってくる。我々は「本HIKAKINが目の前を歩いている!」という事実を受け入れるので精一杯。とても足元にまで気が回らないだろう。ポンプフューリーの派手なカラーリングも特徴的な形も、本HIKAKINを引き立てる要素の一つにしかならないのだ。さすがはトップユーチューバー。スケールが違う。それこそが本HIKAKINの本HIKAKINたる所以といったところである。
逆に言えば、ポンプフューリーに食われるか食われないかによってその人物の本物度合いを測ることができるということだ。ポンプフューリーに食われてしまうようならまだそいつは偽物。よく見たらポンプフューリーを履いているんだな、となるのが「本物」である。各種オーディションでもポンプフューリー審査を取り入れたらいいかもしれない。ちょっとそれを履いて歩いてみてください、みたいな。
そういう意味で、ポンプフューリーを買うというのは、自らの存在の真価を問う行為とも言えるのである。自分という存在の世の中における立ち位置はどの程度のものなのか。それを履いて歩いたときに人々の意識に残るのはスニーカーなのか、それともあなたなのか。結果がどうであろうと、ポンプフューリーは容赦なく現実を突きつけてくる。
あと、空気圧で足にフィットして歩きやすくしてくれたりもする。
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