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変わる8月31日
ぼんやり生きている間に学校の夏休みの最終日が8月31日ではなくなっていた。いつの間にそうなったのかは把握できていないが、去年とかおととしとかいう感じでもなさそうだ。僕が水道修理業者のマグネットの柴田理恵部分のみを切り抜いて冷蔵庫に貼り付けている間にも世の中は着々と変化していたのである。
これまで8月31日は日付単体で見たときも「夏休み最終日」という意味合いを帯びていた。楽しかった休暇が終わり日常が戻ってくることの切なさを感じさせる日付だったのだ。だからこそゲーム「ぼくのなつやすみ」の有名な「8月32日バグ(8月31日で終わるはずのゲームが翌日以降も続くバグ)」も、そのフレーズ一つで終わるはずの夏休みが終わらない異様さを伝えることができていたのである。だが、今後はそういったニュアンスも徐々に伝わらなくなっていくのだろう。
さらに8月31日には「夏そのものの終わり」的な意味合いもあったが、近年の気温上昇によってその感覚も薄れてきている。9月に入っても余裕で30℃超えの日が続くのだから無理もない。体感としてはまだまだ普通に夏である。我々はあの頃の気候を知っているからまだかろうじて8月31日=一応の夏の終わりという感覚を持っているものの、恐らく今の子供達には通じないだろう。
こうして、「夏休みおよび夏そのものの終わり」という強烈な役割を担っていた8月31日は、「特に何でもない月末の一つ」になろうとしている。おそらく10年もすれば完全にそうなってしまうのではないか。本人的にも月末の中では年末、年度末に次ぐポジションにいる意識はあっただろうが、それが失われてしまうわけだ。だが、理論上は並列になったとしても、これまで見下していた周りのヒラ月末との間にできた溝は急に埋まるわけもなく、ギクシャクは必至である。結果、8月31日は月末の中で微妙に浮いた存在となり、周囲から孤立してしまうのだ。
なんだか切ない話である。夏の終わりの切なさとはまた違う種類の切なさだ。
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