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レッド絶望チキン

イマイチなレッドホットチキンに当たってしまった。揚げすぎているのか衣が硬くガリガリで、辛味も飛んでしまっている印象。もちろん美味しくないわけではないが、あのレッドホットチキンを期待して食べるとガッカリしてしまう仕上がりだった。

僕の場合、レッドホットチキンを食べるときというのは昼ごろから「夜はレッドホットチキンを食べるぞお!」と気持ちを作っていることが多い。仕事を終え、帰りの列車から流れゆく夜の街並みを眺めながら、あのマンションの明かり一つ一つに人生があるんだなあ、なんてことには一切思いを巡らせず、「レッドホットチキンを食べるぞお!」と気持ちを高ぶらせるのだ。特急列車から地下鉄に乗り継ぎ、同じく帰宅の途につくサラリーマン一人一人にも家族がいてそれそれのドラマがあるんだなあ、なんてことは微塵も考えずに「レッドホットチキンを食べるぞお!」。最寄駅で降り、商店街にできた新しい飲食店や最近増えてきたガールズバーを横目に「レッドホットチキンを食べるぞお!」。そしていよいよケンタッキーに入店すると、モバイルオーダーとかアプリのクーポンなどの要素はすべて無視してカウンターの店員に直接「レッドホットチキン3つ、持ち帰りで!」と告げるのである。

レッドホットチキンの入った箱を持っていると、いつもの帰り道が違って見えてくる。路地に置かれた鉢植えや自動販売機の人工的な光、アパートから漏れ聞こえる生活音やすれ違った男から微かに漂う煙草の香り、いつかの昼下がりに猫が寝ていたブロック塀やカフェの臨時休業を知らせる貼り紙、信号の点滅、放置された自転車、育ちすぎたアロエ。それら目に入る景色のすべてが、普段よりも数段色鮮やかに、ぐっと解像度を増して目に飛び込んでくる……なんてことはなく、僕は「レッドホットチキンを食べるぞお!」という思いを胸に歩みを進める。

帰宅すると、すぐにでもかぶりつきたい衝動を抑え、汗まみれの服を脱いでシャワーを浴び、部屋着に着替え、薄めのハイボールを作り、録画していたドラマを再生し、テーブルに運んだ紙箱を開ける。スパイシーな香りが鼻孔をくすぐり、ついに待ちに待った最高の時間がやってくる。

そうして食べたレッドホットチキンがイマイチなやつだったのだ。ガッカリなんてものではない。絶望である。

「レッド絶望チキン」だ。何も上手いことは言っていない。

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