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終わり方の話

40歳を過ぎてから、残りの人生について度々考えるようになった。
これは自分の中で、「ちゃんと言語化しておきたい」と思ったので、
noteの1ページ目に記すことにする。                      


先日調べたところによると、日本人女性の平均寿命は86歳で、
健康寿命は74歳らしい。
命にかかわるような不慮の事故や病気を計算に入れなければ、
私が自分の意思で動いていられるのはあと30年程ということになる。
残り時間をどう使うのか、どう生きてどう終わるのか。
若い頃とは違う指針が必要だと思った。

考えた末に出た結果は、「良く終わるために、良く生きる」というもの。
私の中の「良く終わる」とは、簡単に言うと
「立つ鳥跡を濁さず=なるべく問題を残さず人生を終える」というもの。
こんなふうに考えたのは、40歳という年齢のせいもあるが、この2、3年の
うちに祖母と叔父を亡くしたことが大きい。


亡くなった祖母は、昔からドライな性格の人だったようで、子どもたちを
可愛がったり、向き合うということをあまりしてこなかったようだ。
そのせいか、実の娘や息子からあまり慕われておらず・・・、それどころか
娘、息子たちは大人になっても、祖母に対して遺恨を持ち続け、亡くなってもまだ消化しきれない思いがあるようだ。


叔父については、早くに妻を亡くし子どももいなかったので、私の母と叔母が世話をしていたのだが、それまでの兄妹の関係性が悪かったこともあり、二人とも渋々面倒をみているという様子だった。
また、叔父が亡くなったあとの遺品整理・住宅問題・墓問題などがスムーズに解決せず、そのことで母と叔母がもめることもあった。
私も母を補佐して動き回ったが、精神的にしんどい仕事だった。


こういった身近な人の晩年を見るまえの私は、自分の将来やキャリアをどう築くかで必死だった。
高卒で何の取柄もないという劣等感を必死に隠し、
「今より少しでも安定した暮らしを手に入れるにはどうすればいいか?」
ということしか考えられなかった。
長い間、非正規で働いてきた私には、いつまで経っても助走期間のような日々のなかで、始まってもいない人生を「終わり」から考えるなんて発想は無かった。


でも、祖母と叔父の晩年を間近で見てきた経験から、私の気持ちは
「なるべく問題を残さず人生を終えたい」という、どちらかというと引き算の方に傾いていったように思う。



残された人に迷惑をかけないよう、
遺恨を残さないよう、
今までやってきた事を地道に続け、
今ある関係を大切にする。
そう考えるようになると、なぜか気持ちが楽になった。



これまで「社会の中でどうにか浮き上がりたい、埋もれたくない」と必死すぎて、いつの間にか友人を失い人間不信で皆が敵のように見えていたけれど、
こういった苦しさは、自分のことばかり考えていたために落ちた、利己主義の穴だったのかもしれない。



自分以外の誰かのために、問題を残さないよう自分の生き方を整えることは、廻り廻って自分の心も楽にしてくれる。
そして、人生を「終わり」から見ることは、この社会で溺れていた私にとって良い指針になりそうだと思った。


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