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ジオパーク訪問記 No.1 支笏湖-洞爺湖-地球岬-登別地獄谷 その2【洞爺湖】編

ブラタモリで地球の成り立ちや地形に興味を持たれた方は多いでしょう。
私もその一人です。

退職して自由な時間を手に入れることができたので、自分の目と足で確かめるべく、訪問を開始することにしました。

🌏今回の訪問の概要

第1弾は、支笏湖-洞爺湖-地球岬-登別温泉を巡りました。2024年10月中旬です。

北海道の公式HPによると、

北海道内には、「日本ジオパーク」6地域と、日本ジオパークの認定を獲得するため取組を進めている「ジオパーク構想」1地域があります。

・洞爺湖有珠山ジオパーク(洞爺湖町・伊達市・壮瞥町・豊浦町)
・アポイ岳ジオパーク(様似町)
・白滝ジオパーク(遠軽町)
・三笠ジオパーク(三笠市)
・とかち鹿追ジオパーク(鹿追町)
・十勝岳ジオパーク(美瑛町・上富良野町)
・大雪山カムイミンタラジオパーク構想(旭川市・鷹栖町・東神楽町・比布町・愛別町・上川町・東川町)

 このうち、洞爺湖有珠山ジオパーク、アポイ岳ジオパークは、「ユネスコ世界ジオパーク」にも認定されています。

北海道庁「北海道のジオパーク」紹介ページ
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ckk/hokkaidonaigeo.html

ですから、今回の訪問先で正式にジオパーク認定されているのは洞爺湖、ということになります。

しかし、残りの訪問地も、大地や地形の壮大さ、普段私たちが暮らしている一般的な土地の下に広がるマントルやマグマを感じさせるものでした。

🌏1.支笏湖 はこちらへ↓


🌏2.洞爺湖

支笏湖の次に訪れたのは洞爺湖です。2008年にG8主要国首脳会議が開かれたので名前とおおよそのイメージはありました。

支笏湖からは西に車で約1時間半の位置にあります。私のように湖の西側にある「サイロの丘」を経由するルートを取ると2時間弱かかります。

水色の線が、実際に通ったルート

計画時には支笏湖の後、同じ日のうちに洞爺湖も見られるかと思っていたのですが、レンタカーを借りるのに時間がかかり、支笏湖でもゆっくりしてしまったので、支笏湖を半周して離れる頃には陽が暮れてしまいました。

そのため、翌日の朝に宿から出直して訪れることになりました。宿は登別温泉へのルート上となる海岸沿いの伊達市内に取っていました。この宿からは車で20分ほどで洞爺湖ビジターセンターの駐車場に着きます。

ロスタイムを取り戻すべく、宿の朝食は6:30にお願いして7:00ごろに出発、ビジターセンターの駐車場には7:30ごろに到着しました。

センターに併設された火山科学館の開館は9:00、遊覧船の1便が8:30なので、まず遊覧船に乗ることにし、それまで辺りを散策して乗船開始時刻を待ちました。

乗り場横から撮った写真です。ビデオから切り出しました。恐れ入りますが、頭の中で左から右に視線を動かしているつもりでつないで合成してください。

湖は外輪山に囲まれています。
奥に見えているのは遠方の羊蹄山です。
中央から左側の手前に見えるのが湖の中央に浮かぶ島々です。
右端に写っているのは貸しボートです。

遊覧船は湖の中央にある大島に寄り、希望する客を下船させて、出発した乗り場に戻ってくるという単純なコースです。1時間に2本出るので、大島で下船した客は自分が望む時間を大島で過ごしたあと、別の便で帰ることができます。

船が桟橋に入ってきました。第1便はこれより小さなタイプの船でした。
島と島の間は浅い。貧栄養なので透明度が高いとのことでした。

船の中にあった案内を読むと、大島にはいくつかの散策コースがあり、洞爺湖についての資料館もあることがわかりました。

そのため、散策をしてから船の出発時刻までの時間で資料館を見学することにしました。

大島の桟橋です。
朝の光を受けて島の木々の色がきれいでした。

資料館に、散策路の管理室があり、そこで開始時刻・予定ルート・名前・携帯電話番号などを記入し、整理番号のついたネックストラップを受け取ります。



風穴もありました。

リスがあまりかわいくない鳴き声をあげながら、木を登っていくのが見えました。

開けた場所から羊蹄山が見えます。
資料館では、洞爺湖の周りのジオラマや説明のパネル、絶景のビデオなどがあり、満足できました。
支笏湖同様に火砕流もあり、形成された台地が畑作地になっているなどの説明がありました。
別世界、映画ジュラシックパークのような風景です。1日滞在したい場所でしたが、
島に別れを告げ
湖畔に戻ります。帰りの船には韓国語を話す団体旅行の人が大勢乗っていました。

洞爺湖の成り立ちは、国土地理院の資料によると、

約11万年前に発生した巨大火砕流噴火によって、多量のマグマが地上に放出されたためカルデラが形成されました。その後、カル デラ内に水が溜まり現在の洞爺湖となりまし た。

洞爺湖は、面積では国内で3番目に大きい カルデラ湖です。東西約11km、南北約9k mのほぼ円形をしたカルデラ湖であり、その中央には約5万年前の噴火で形成された溶岩 ドーム群からなる中島があります。

国土地理院
https://www.gsi.go.jp/common/000202576.pdf

…とされています。

さらに詳しくは、洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会のサイト↓へ!
美しいビデオもあります。


昼前の時間になったので、食事のできるところを探して「道の駅 そうべつ情報館i」へ。残念ながらこの道の駅、食材やお土産は売っていましたがレストランはありませんでした。が、

2階に設けられた防災情報館には、2000年にあった有珠山の噴火による被害実態について説明するパネルや礫のサンプルなどがありました。見学者はまばらでしたが、地殻変動や火砕流による被害のようすは、私にはインパクトがありました。

この情報館には、有珠山の様子を観察できる大きな窓も設けられていました。

結局昼ごはんは、この道の駅に置かれていたイラストマップで紹介されていたレストランへ。昭和新山のそばにあるお店です。

ちょうど正午ごろ、中国語を話す団体さんが入ってきて食事をされていました。
こんな施設の看板がありました。

昭和新山は、元は平らな麦畑だったものが、一時は400mの高さにも達するほど隆起した山です。次の引用にあるように、罹災麦作を生活の糧にしていた農民の救済と珍しい隆起型火山の標本としての保護のために当時の地元郵便局長であった人物が私財で買い取り、現在も私有地であるとのことです。

火山誕生後,三松正夫は,その成長過程が世界で初めて確認された『隆起型火山』の極めて貴重な標本であると考え,また地球の破壊力と再生力を末永く見届けるために一帯を保全すべきと考えた.加えて麦畑が火山に変じて生活の術を失った罹災農民の救済のためにも,国・道に保護方の陳情活動に奔走した.が,災害の元凶である火山の保護など有り得ないと相手にされず,やむなく私財 28,000円を投じて主要部分42ha余を買い取り,個人で管理することを決断したのであった.

“火山誕生を見守り続けた郵便局長 三松正夫記念館” . 産業技術総合研究所 地質調査総合センター. 地質ニュース597号. pp. 52-59 (2004年5月).
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/04_05_07.pdf

(上の資料には、隆起したのが戦時中(1943年12月28日)であったため、異変を発見したが科学者の派遣がかなわなかった三松(みまつ)正夫氏が、自ら観察記録をつけ続けたこと、その後、私設の資料館を開設したことなど、興味深い事実が書かれていました。)


サイロ展望台や有珠山など高台からの眺めや火山博物館、壮瞥の滝(現在遊歩道整備中)の見学もしたかったところですが、今回は時間切れ。最低丸1日は必要でした。

次回訪れることがあったら、有珠山を歩くガイドツアーにぜひ参加したいと思っています。

地球岬を経由して登別温泉に明るいうちに到着するため、洞爺湖を出発することにしました。

【地球岬・登別地獄谷】編に続きます。


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