ジオパーク訪問記 No.1 支笏湖-洞爺湖-地球岬-登別地獄谷 その2【洞爺湖】編
ブラタモリで地球の成り立ちや地形に興味を持たれた方は多いでしょう。
私もその一人です。
退職して自由な時間を手に入れることができたので、自分の目と足で確かめるべく、訪問を開始することにしました。
🌏今回の訪問の概要
第1弾は、支笏湖-洞爺湖-地球岬-登別温泉を巡りました。2024年10月中旬です。
北海道の公式HPによると、
ですから、今回の訪問先で正式にジオパーク認定されているのは洞爺湖、ということになります。
しかし、残りの訪問地も、大地や地形の壮大さ、普段私たちが暮らしている一般的な土地の下に広がるマントルやマグマを感じさせるものでした。
🌏1.支笏湖 はこちらへ↓
🌏2.洞爺湖
支笏湖の次に訪れたのは洞爺湖です。2008年にG8主要国首脳会議が開かれたので名前とおおよそのイメージはありました。
支笏湖からは西に車で約1時間半の位置にあります。私のように湖の西側にある「サイロの丘」を経由するルートを取ると2時間弱かかります。
計画時には支笏湖の後、同じ日のうちに洞爺湖も見られるかと思っていたのですが、レンタカーを借りるのに時間がかかり、支笏湖でもゆっくりしてしまったので、支笏湖を半周して離れる頃には陽が暮れてしまいました。
そのため、翌日の朝に宿から出直して訪れることになりました。宿は登別温泉へのルート上となる海岸沿いの伊達市内に取っていました。この宿からは車で20分ほどで洞爺湖ビジターセンターの駐車場に着きます。
ロスタイムを取り戻すべく、宿の朝食は6:30にお願いして7:00ごろに出発、ビジターセンターの駐車場には7:30ごろに到着しました。
センターに併設された火山科学館の開館は9:00、遊覧船の1便が8:30なので、まず遊覧船に乗ることにし、それまで辺りを散策して乗船開始時刻を待ちました。
乗り場横から撮った写真です。ビデオから切り出しました。恐れ入りますが、頭の中で左から右に視線を動かしているつもりでつないで合成してください。
遊覧船は湖の中央にある大島に寄り、希望する客を下船させて、出発した乗り場に戻ってくるという単純なコースです。1時間に2本出るので、大島で下船した客は自分が望む時間を大島で過ごしたあと、別の便で帰ることができます。
船の中にあった案内を読むと、大島にはいくつかの散策コースがあり、洞爺湖についての資料館もあることがわかりました。
そのため、散策をしてから船の出発時刻までの時間で資料館を見学することにしました。
資料館に、散策路の管理室があり、そこで開始時刻・予定ルート・名前・携帯電話番号などを記入し、整理番号のついたネックストラップを受け取ります。
リスがあまりかわいくない鳴き声をあげながら、木を登っていくのが見えました。
洞爺湖の成り立ちは、国土地理院の資料によると、
…とされています。
さらに詳しくは、洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会のサイト↓へ!
美しいビデオもあります。
昼前の時間になったので、食事のできるところを探して「道の駅 そうべつ情報館i」へ。残念ながらこの道の駅、食材やお土産は売っていましたがレストランはありませんでした。が、
2階に設けられた防災情報館には、2000年にあった有珠山の噴火による被害実態について説明するパネルや礫のサンプルなどがありました。見学者はまばらでしたが、地殻変動や火砕流による被害のようすは、私にはインパクトがありました。
結局昼ごはんは、この道の駅に置かれていたイラストマップで紹介されていたレストランへ。昭和新山のそばにあるお店です。
昭和新山は、元は平らな麦畑だったものが、一時は400mの高さにも達するほど隆起した山です。次の引用にあるように、罹災麦作を生活の糧にしていた農民の救済と珍しい隆起型火山の標本としての保護のために当時の地元郵便局長であった人物が私財で買い取り、現在も私有地であるとのことです。
(上の資料には、隆起したのが戦時中(1943年12月28日)であったため、異変を発見したが科学者の派遣がかなわなかった三松(みまつ)正夫氏が、自ら観察記録をつけ続けたこと、その後、私設の資料館を開設したことなど、興味深い事実が書かれていました。)
サイロ展望台や有珠山など高台からの眺めや火山博物館、壮瞥の滝(現在遊歩道整備中)の見学もしたかったところですが、今回は時間切れ。最低丸1日は必要でした。
次回訪れることがあったら、有珠山を歩くガイドツアーにぜひ参加したいと思っています。
地球岬を経由して登別温泉に明るいうちに到着するため、洞爺湖を出発することにしました。
【地球岬・登別地獄谷】編に続きます。
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