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アイヌを知るため二風谷とウポポイへ ③ウポポイ編 | 大人の学び

2024年10月中旬、日本の少数民族アイヌについて深めるため、北海道の平取町にある二風谷と白老町にあるウポポイに行ってきました。

①概要編はこちら↓

②二風谷編はこちら↓

この記事では、ウポポイで見聞きしたこと、感じたことをお話しします。

ウポポイ(民族共生象徴空間)は、アイヌの歴史・文化を学び伝えるナショナルセンターとして平成6年に整備の基本方針が閣議決定され、令和2年に開館した施設です。博物館として資料を展示するだけではなく、伝統芸能を披露したり、近い距離で民話を口述したり、言葉や演奏、技能の教室を開いたりと、体験と交流ができるようになっています。

◾️ウポポイはどこにある?

北海道のこの↓あたり、新千歳空港から車で1時間、高速を使えば約40分のところにあります。

Google Map: 新千歳空港→ウポポイ
同、拡大図

いくつかのアイヌの集落が候補地として挙がる中、空港から車で1時間以内、ルスツ・洞爺湖・登別温泉・支笏湖といった観光地から離れていない、近くにJR白老駅もあるといった利便性と自然休養林隣接地という自然環境があることが理由で、この場所が選ばれたようです。

一般道では20km圏内くらいで案内標識が出ていたように記憶しています。また、白老町に入ると、ウポポイのPRキャラクターが描かれた電柱に迎えられます。

◾️ウポポイにあるもの

国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園から成り、後者に伝統的コタン・工房・体験交流ホール・体験学習館が含まれます。

この二つの施設の駐車場やエントランス棟、それに入場料は共通です。

園内図(パンフレットより)

国立アイヌ民族博物館は、先住民族アイヌを主題とした日本初の国立博物館
国立民族共生公園は、体験型フィールドミュージアム
…と説明されていました。

運営・管理の仕方が異なるのでしょうが、一体運用されています。

◾️ウポポイで見られるもの・体験できること

下図のように、複数の場所で、同時並行して観覧・体験メニューが用意されています。ですから、事前の計画が必須です。

私は旅行前に印刷して、自分用の時間割を作りました。

訪問時のプログラム
訪問時のプログラム(続き)

なお、休園日は原則月曜日ですが、例外があるので注意です。月曜日が休日の場合、次の平日が閉園になります。このルールにも例外があるのでHPで確認をお忘れなく。(私は気づかず休日の次の火曜日に行ってしまい、二風谷と訪問日を交換しました。)

◾️私が観覧・体験したもの

① 【開園前の待ち時間】 ポロト自然休養林

開園の40分ほど前に着いたので、車を近くの観光案内所に置きました。ウポポイの駐車場は30分前からしか開かないためです。そしてウポポイが接するポロト湖を取り囲む自然休養林を散策することにしました。

ウポポイ正門に向かって左側の塀に沿って進むと休養林の看板が見えます。

クマ目撃情報有りとの看板があったのでリュックに鈴を付けて歩き始めました。前日夜からの雨が上がったところで、空は澄み、木や草花には雨露がついてきれいでした。

紅葉が少し始まっていました
向こう岸の建物がウポポイの施設
雨露が光っていました
さらに北に進むとキャンプサイトがあるようです。

開園前の時間調整におすすめです。

② シアタープログラム「アイヌの歴史と文化」 @国立アイヌ民族博物館

大陸から日本への人類の移動から始めて2020年のウポポイの開業までを説明する動画でした。

私にとっては初めて知った、この訪問で最も重要な内容でした。

大変長くなりますが、
公益財団法人アイヌ民族文化財団による『アイヌ民族〜歴史と文化』令和4年
(次のURLからアクセス可能) を元に主な項目を書き出します。
https://www.ff-ainu.or.jp/web/learn/culture/together/files/rekishi_bunka.pdf

上映された動画はアニメーションを使ってとてもわかりやすくしてありましたが、この資料がベースになっているものと思われます。

【近世、戦いの時代】
・15世紀頃から約100年にわたりアイヌの人たちと和人との戦いが断続的に行われた。
・16世紀中頃から懐柔策
・1604年、徳川家康による松前藩への、蝦夷地における交易独占権認可
・18世紀中頃以降、アイヌの人たちの生産者・交易者から漁場労働者への変化
・1669年のシャクシャインの戦い(アイヌの人たちと松前藩の全面戦争。和睦の席で統率者シャクシャインが騙し討ちで殺害されアイヌ側の敗北に終わる)→和人の優位→多くのアイヌの人たちは漁場労働を強いられ、酷使や交易の不正に遭うことに
・1789年、国後島のアイヌの青年たちが蜂起、対岸の目梨地方にも波及するも首長の説得で収束→松前藩の討伐隊は主だった者を処刑→松前藩は国後島や道東部のアイヌの人たちを制圧、支配下に。これが和人に対する最後の戦いになる。

【近代、ロシア対抗のための日本人化の時代】
・19世紀、アイヌの人たちが日本に帰属すること、その居住地が日本領であることをロシアに主張するために、徳川幕府は懐柔と「日本人化」の強要を行う。
懐柔=交易・保護、笠・蓑・草履の着用の解禁
同化=髪形・着衣・名前などを本州風に改める、耳飾り・入れ墨・クマの霊送りなどアイヌの人たちの古来の風俗、習慣を禁止
・1969年、明治新政府は蝦夷地を北海道と呼び改め、一方的に日本の一部とする。アイヌの人たちを「平民」として戸籍を作成し国家に編入したが、「旧土人」と呼び差別的扱い続ける。
・同年、北海道開拓使は、アイヌ民族の言語や生活習慣を事実上禁じ、和風化を進める政策をとる。また、アイヌの人たちが利用してきた土地や資源を取り上げて国の財産だとしたうえで民間に売り払うことにし、主食であるサケの漁やシカ猟も禁止した。→生活の手段を喪失
・1875年、ロシアとのあいだで樺太・千島交換条約。政府はサハリン(樺太)や千島に住んでいたアイヌの人たちを北海道や色丹島に強制移住させる。→急な生活の変化や病気の流行などに苦しみ、多くの人が死亡。
・1899年、「北海道旧土人保護法」制定。学校では、アイヌ語をはじめ独自の文化を否定、日本語や和人風の生活の仕方を覚させる。和人児童との別学を原則とする。

【第2次世界大戦後、先住民族として尊重する施策へと動く時代】
・1960年代、アイヌの人たちが多く暮らす地域で集会施設(生活館)や共同作業所などを設置する環境整備事業が開始。
・1974年から、住居・就労・修学などの面での個人対策も盛り込んだ「北海道ウタリ福祉対策」開始。重点や名称を変えながら現在も継続。
・1970年代、独自の文化を保存、継承するための活動が広がり始める。
・1980年代、先住民族同士での国際交流も積極的に行われるように。
・1994年、アイヌ民族として初めての国会(参議院)議員が誕生。
・1997年、新しい法律として「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が施行され、この時、「北海道旧土人保護法」は廃止となる。
・2007年、国連総会において先住民族に係る政策のあり方の国際指針を定めた「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択。
・2008年、国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択。
・2014年、アイヌ文化の復興等を促進するための「民族共生の象徴となる空間」の整備及び管理運営に関する基本方針が閣議決定。
・2019年、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための 施策の推進に関する法律」が公布、施行。→法律として初めてアイヌが先住民族であるとの認識を示すとともに、アイヌであることを理由とする差別の禁止、交付金の創設、アイヌ政策推進本部を内閣に置くことなどが定められた。
・2020年、民族共生象徴空間(ウポポイ)が開業。

② シアタープログラム「世界が注目したアイヌの技」 @国立アイヌ民族博物館

このプログラムでは、ロシアやヨーロッパの国々の博物館でアイヌの民俗資料が展示されている様子を紹介しています。交易が盛んに行われていたロシアで多くのものが保存・展示されていることが印象的でした。

③伝統芸能上演 @体験交流ホール

立派な劇場で、アイヌの伝統的な歌や踊りが上演されます。同時に映される映像も素晴らしく、コタンや森の中で演じられているように感じられました。若い世代の人たちが中心で、以前のこういった上演のイメージを一新するものでした。

事前に整理券(座席番号付き)が発行されるシステムです。遅くなると満席になるので、できるだけ早いタイミングで入手しておくことをお勧めします。

④文化解説プログラム @伝統的コタン

野外ステージを使って、コタンの説明やムックリの演奏、歌の披露をしていました。ホールでと違い、近い距離でアットホームな感じでパフォーマンスを観ることができました。

晴れてよかった。

時間の終わりには民族衣装を着た演者と記念撮影をしてもらえました。

後方で手を振っているのは、白老コタン時代からご活躍のムックリ演奏の達人

⑤ 口承文芸実演 @伝統的コタン

アイヌには文字がありません。だから、物語を伝えるときは口伝え、口承となります。そうして伝えられた物語の実演を、復元した伝統的な家、チセの中の囲炉裏の周りに座って聞かせてもらえます。日本語での説明のあと、物語部分はアイヌ語です。

復元されたチセの中の囲炉裏

独特のリズムと繰り返しのことばがあり、引き込まれました。演じてくださったのは鵡川(むかわ)の方で、おばあさんから聞かせてもらったのを書き留めて覚えたとのことでした。実体験のある若い世代が芸能を引き継いで見事に演じたり、わかりやすい説明をしておられ、すばらしいことだなぁと思いました。

以前のアイヌコタンでの芸能は、「見せ物」のようなイメージがありましたが、(そして、それはそれで芸能が消滅するのを防いだという意味で価値はあるのだと思いますが)、「学び・交流」というコンテクストに位置付けることで、対等な関係の、さらにいいものになっているな、と感じました。

⑥ 展示鑑賞 @国立アイヌ民族博物館

展示は時間の条件がないので、②〜⑤のない時間を使って2回に分けて見ました。建物も、展示も現代的でよくできていました。

博物館2階の展示フロアへのエスカレータを上がると見える景色です。

ある特定の地域のアイヌの文化ではなく、アイヌ文化の全体像を見渡せるのが特長の一つだと思います。

例えば、民族衣装にしても、ここでは地域差を知ることができます。

これは二風谷で見た物と同系のようです・
この色使いはここで初めて見ました。
形も違いますし、青と金という色使いも特徴的です。

さまざまな地域の現代のアイヌの人々の生き様を紹介しているのもこの博物館の特長です。

オーダーメードの家具作りをしている方や、アイススケートのオリンピックメダリストで現在は不動産業をされている方、それに、木材の切り出しでは家族と過ごせないからトラック運転手になった方の、写真・インタービューと関連する実物(家具のモデル・メダル・木材を運ぶ際の道具)を見ました。

家具工房を営む人の展示

国立民族学博物館・みんぱくでも、現在生きている個人のライフストーリーとその人に関わる物を展示するコーナーがあります。

過去の匿名の人のことではないぞ、という展示の仕方はインパクトがあります。

そういえば、過去の記録ではありますが、個人のライフストーリーとその人に関わる実物を展示するというやり方は、広島の原爆資料館でも採用されていました。

また、CGを使った美しい映像で民話を紹介するプロジェクターやインタラクティブにアイヌ語の語順が学べるタッチ対応モニターなど、テクノロジーを駆使しているのも特長です。

警備や案内の人員も豊富で、十分にお金をかけている印象でした。わが地元のみんぱくも立派ですが、それ以上かと思います。

そこまで国を動かすには大変な苦労があったのだろうと推察します。


体験学習館や工房では、楽器の演奏や刺繍や木彫りの体験が用意されているのですが、学校団体優先になっています。

この日も、高校生や小学生の団体を目にしました。

芝生でお弁当は小学生かな?

食事の場所は、地元の肉を使った料理を出す高級レストランもありますが、私はシャケと野菜の「オハウ」のセットにしました。このオハウ、温かい汁ものを意味するそうです。昆布だしと塩で味付けされた優しい味のシープでした。

アニメ版ゴールデンカムイで主人公たちがおいしそうに食べていたので、食べておきたかったのでした。

ご飯はきび入り、お茶は薬草茶エント茶、イナキビのお餅シトも付いていました。

ウポポイの見学内容は以上です。

振り返ってみると…

ナショナルセンターとしての堂々とした施設と展示内容、若い年代を中心とした多様な地域から集まるアイヌの人々による、よく準備され溌剌とした演技が印象的でした。アイヌの人同士の交流とエンパワーの場にもなっているだろうと感じました。

和人による征服への抵抗と敗北、それに続く同化政策は、台灣占領時と同じパターンが見て取れました。また、ロシアとの交流が盛んであったことも初めて知りました。

アイヌの世界観や伝統的な模様という文化面から私の興味は始まったのですが、日本やロシアとの関係の歴史、そして現代の文化継承の様子について知ることのできる訪問となりました。


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