【創業ヒストリー】幼少期からの探究心と好奇心は変わらない。矯正ビジネスの常識を変えていく、Oh my teeth代表インタビュー
こんにちは!Oh my teeth採用チームです。今回は、弊社代表 西野誠(にしの まこと)にインタビュー。前編では、Makotoの生い立ちや経歴、Oh my teeth設立に至るまでの経緯をお届けします。ぜひ最後までお読みいただけると幸いです!
「あっと驚かせること」と「探究すること」が好きだった
──幼少期はどのように過ごしていましたか?
小学生の頃、祖父に大型雑貨店に連れて行ってもらい、手品の実演販売を見るのが好きでした。学校や家では知ることのできない、あっと驚くモノやサービスも多く、前のめりになって見入っていましたね。いつの間にか、自分も驚かせる側になりたいと思い、マジックを練習しはじめたんです。小学校の図書館にはトレンドの本もありましたが、どうせならみんな読まなさそうな本がいいと思い、開架にはなく書庫にしかない本を選びました。それを見ながら、一生懸命練習して、家族や友人に披露しました。目の前の人がびっくりしたり、喜んだりするのがとてもうれしかったです。
ちなみに父親は経営者で、複数の事業を展開するなかで、医療系の機械も開発していて、父親の部屋にある『みんなの科学』や『ラジオライフ』を読んだり、パソコンをいじったりしていました。パソコンにはかなり没頭しましたが、母親に反対されていたので、こっそり真夜中に起きて、簡単なホームページを作るなどしていました。当時のパソコンは有線だったので、誰にも言わずに長いLANケーブルを買ってきて、自分の部屋までパソコンを繋いだこともあります(笑)。
──周囲から反対されても、Makotoさんの探究心は止まらなかったのですね。他に夢中になったことはありますか?
夏休みの自由研究です。まずは小学6年生の頃、姉の自由研究を手伝いました。「中華スープはなぜ冷めないのか」をテーマに、地球温暖化の構造と結び付けて考察したところ、姉が表彰されたんです。そこではじめて、何かを探究することのおもしろさと、それが認められることの喜びを感じました。中学2年生になると、父親が雑草対策で飼っていたヤギが鳴きやまず、途方に暮れる様子を見て、「どうやったら仔ヤギを鳴きやませられるのか」をテーマにしました。これは科学アカデミー賞を受賞しました。さらに翌年、「なぜ市販の牛乳は振ってもチーズやバターにならないのか」を研究したところ、日本学生科学賞を受賞。理数科の有名な高校に進学することになりました。
──自由研究で数々の賞を受賞されたとのことですが、高校生ではどのようなスタートを切りましたか?
入学後すぐに、自分は何かを探究することは好きだけど、理数系の勉強は好きではないと気づきました。そのため、授業にのめり込むのではなく、今までと変わらず自由研究やパソコンが好きでしたね。中学生の頃よりもほんの少しだけレベルアップして、PHPを使った簡単なアプリ開発もしました。当時なぞかけにハマっていたのですが、記憶力がよくないので、せっかく思い付いたなぞかけをすぐに忘れてしまって…(笑)。かなり多く考えていたので、メモ帳では管理しきれませんでした。そこで、その文字が含まれるなぞかけが瞬時に表示されるアプリを作りました。カンペのようにお題を出されたら、こっそりそれを使ってドヤ顔で披露していました。
──幼少期からのパソコンに対する興味から、アプリ開発までされたのですね。その後も、理系の道を進んだのですか?
実はプログラミングそのものよりも、ITやツールを使って課題解決するというプロセスが好きだったんです。それを実現できると考えた社会学部を選び、何らかの課題を解決するために、R言語を用いたデータ分析などを行ったとき、自分がやりたいのはこういうことだと確信しました。「課題を解決するプロセス」をもっと体験してみたいと思い、1年生から複数のインターンに参加。大手鉄道会社のインターンでは、週に一回ほど出社して、社員と一緒に商品企画やPRなどをおこないました。また、大手システム会社のインターンは、優秀な成績を残したインターン生に、賞金50万円と3年間有効の入社パスを渡すというもの。正直その賞金に目が眩んで応募したのですが、実際に企画書を作ってアプリを開発し、プレゼンする過程がとてもおもしろかったです。最終的に優秀者に選ばれ、賞金と入社パスを手に入れることができました。その後、スタートアップのシステム会社でインターンをして、少人数で会社を作っていく経験を積みました。スタートアップならではのスピード感があり、社員みんなが、新しい事業を大きくするために、前に進み続けているのが印象的でした。
新卒でエンジニアに。退職後、多拠点生活を始める
──新卒ではどのような会社に入社しましたか?
約1か月間インターンをしていた、大手システム会社に入社しました。その理由は、インターンで仕事の適性を感じたことはもちろん、人事の方とすごく気が合ったんです。ラップ好きという共通点があり、とても話が盛り上がり、最終的には社会人×大学生のラップ大会にも一緒に出場しました(笑)。私が足を引っ張りすぎて初戦敗退したのですが…。入社後の後日談ですが、私がインターンに応募したとき、履歴書の特技欄に「押韻」と書いていて、それをその人事の方も見ていて、面白そうな学生だなと思ってくれていたみたいです。入社後は、エンジニアとして希望していた基盤業務システムの新製品開発部署に配属されました。スカンクワーク(業務以外の自主的な活動)が推奨されている社風で、個人的に仲の良いメンバーを集めて社内ツールなどを開発したりしました。高校や大学時代にアプリ開発をした経験が活かされましたね。また、当時開発した社内ツールのひとつは、今でも使われているそうで、とてもうれしく思っています。
──インターンから入社し、社内ツールの開発でも一目置かれ、非常に充実されていたと思うのですが、なぜ退職に至ったのでしょうか?
アドレスホッパーになる!と決めたのが大きいです。国内外のクラウドファンディングサイトを見るのが趣味で、約2年間勤めたころ、多拠点生活できる定額住み込みサービス「ADDress」を見つけました。すごく面白そうだと思い、その場ですぐに応募しましたね。そしてこのサービスは、ひとつの拠点に7日間以上滞在できないルールなので、このまま同じ仕事を続けることは難しく、退職を決めました。最初のうちは千葉の南房総や鎌倉から東京まで通勤するとかをやっていたのですが「もったいないな」と思うようになり。
矯正ビジネスに革命を起こすべく、Oh my teethを設立
──どのような流れで、Oh my teethを設立したのでしょうか
さまざまな課題のなかでも、特に矯正歯科の料金の高さが気になりました。透明なプラスチックでできたマウスピースに、なぜ100万~200万円するのだろうと疑問に思いました。そこで、実際に創業メンバーと3Dプリンターでマウスピースを自作してみると、数万円で完成したんです。もちろん、矯正歯科の料金には、マウスピース以外の金額も含まれているため、そのまま比較することはフェアではありませんが、それでも高すぎると感じました。この原体験から、料金の高さをはじめ、待ち時間の長さや治療内容の不透明さ、通院期間の長さや手間など、すべての課題を解決する矯正サービスを作ることを決意。ちょうど会社を退職していて、フルコミットできる状態でしたし、私と同じように、矯正ビジネスに課題を感じているCo-Founderとも縁がありました。矯正専門のドクターやエンジニア、UI/UXデザイナーなどが集まり、今までになかった画期的なサービスを広げるべく、2019年10月にOh my teethを設立しました。
いかがでしたでしょうか? Makotoは学生時代からの探究心を活かして、矯正ビジネスの課題解決に挑むことを決意しました。インタビュー後編では、構想をサービスに落とし込んでいく流れや、具体的なサービス内容、今後のビジョン、候補者の方へのメッセージなどをお届けします。次回もお楽しみに!
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