「私の物語」/二胡弾き
物置の整理をしていて、父と母の恋文達が沢山出てきた。一つひとつ開いて読んでいる。この純心な2人の思い出を残してみたくなった。2人が行きた足跡を。
私は、麓さん家の嫁 ikuyo。 物置の整理をしていて、義父 邦明、義母 逸子の思い出箱の中から出てきた沢山の恋文達。捨ててしまうにはもったいなくて、戦前・戦後の昭和を生きた2人の足跡をこのnoteに残してみようと思いました。思い出箱の中の品物と手紙を一つ一つ開いています。日記のように毎日交わされた恋文達。 よそものの嫁である私が、読んでしまうのはどうかとも思いながらも、愛を持ってnoteへ納めていこうと思っております。 フォロー頂けたら嬉しいです。 義父 邦明 昭和3年3
義理父と義理母の若い頃の写真。昭和23~24年頃の写真のようです。 美男美女です。 母が高校生の時、一高生(*)の学生だった父が英語の家庭教師としてやってきて、出会った2人。 当然ながら二人は恋に落ちるわけです。 そんなことがわかる想い出の品がたくさん出てきました。 屋根裏の整理から 我が家には屋根裏(グルニエ)があって、捨てたくないものとか、捨てる作業に取りかかれないようなものを、みんなグルニエにあげています。 屋根裏だから、簡単に取り出せないので、入れたものはそこに残
総裁選を見ながら、あるお医者様のお話を思い浮かべました。 腸内環境の菌の話。 善玉菌 悪玉菌っていますよね。善悪ってはっきり言うのが面白いなと思いますが。 菌の割合は、善玉菌2割 悪玉菌1割 残りの7割は「日和見菌」と言うのだそうです。日和見菌たちは善玉が強ければ善玉寄りになり、悪玉菌が強ければ悪玉寄りになるそうで・・ じゃあ、悪玉を取り除けば良いじゃないか!という単純なことではなく、悪玉を取り除くと善玉がうまく働かなくなるらしい。君たち付き合ってたのっ・・と突っ込みた
入れそうだけど、熱いね!うん結構熱いね! でも入ってみようか! うぉ〜〜ぉおおおおお ってなる そんな温度が調度いいのではないかと思う。 ちょっとカッコ悪くて、でもなんだか人間らしくて 冷たい水には入りたくない 熱すぎるお湯には入れない ぬるま湯は出れなくなる 適温は気持ちはいいのだが・・ 完全にお風呂のお話をしているように聞こえるけども・・ これは、人の熱量についての話です!(笑 思いの熱さを持っている人って、素敵だと思うのです。 熱くなるほど、そこに注いで燃やし続け
思い出を辿れば思い出す香りはたくさんあるけど すぐに匂いが蘇る記憶は、自分にとって鮮烈な思い出ということか。 匂いを感じることは止めることができない。入れたくない情報って、目や耳からなら自分で制御できるけど、嗅覚は制御できずまず自分の中に入ってくる。それから鼻をつまむくらいはできるが・・ 電車で、隣に座った男の人から香って来た自分と同じ香水の匂い 中央線で会社へ向かう途中、スーツ姿の男の人が隣に座った。 ふわ〜っとかおる。 「あっこの匂い 私の香水と同じだ。」 ’ブルガリ
歌うように楽器を奏でる。 音と音の間にある音、弦楽器なら誰でも出せる。 けど、音と音の間にある「歌」は誰にでも出せるわけではなく、それが奏者の感性や思いになるのだろう。 それがリスナーに届いた時が「歌」になった瞬間なのではないかと思う。 二胡は女性の声に似ていると言われているのだけど、弦が2本しかないため音が弦の上で縦に展開する。弦の上を滑るように上に下に移動する。 音と音の間にある「歌」。 声や思いを表現できるのが弦楽器の素敵なところなんだけど、二胡という楽器は特に得意なの
「出来ない事」に気づくのはわりとできるけど 「出来ていない事」に気付くのは自分では結構難しいのだ 外からのフィードバックが必要になるのね。 My上達へのセオリー5 1. 憧れの存在を持つこと そして徹底的に真似すべし 2. 二つの目標 大きな夢と小さなステップ を設計すること 3. ほんの少しでいいから、負荷をかけた練習をすること 4. 集中できる時間だけを使うこと 5. 全ての練習にフィードバックがあること 外からのフィードバックというのは、客観的な視点でみること。 そ
もやもや病をカナダで治療した娘の話。 私もコロナ禍ではあったけど、昨年10月カナダへと渡航してその過程をこのブログにも綴った。 2020/10/22に左脳の血管バイパス手術を行い、その時脳出血を伴い50日に渡り入院、リハビリを余儀なくされ、10%ほどの確率で起こる合併症だった。 右半身麻痺と言葉を失い、10%へ入ってしまったあの時。 良い事ならラッキーと大喜びする10%。悪いことの方に入れば、何故私がと、この世の終わりのようになる。その確率に入る人が誰かしらいるから、その確率
「集中できる時間」というのは、どういうことか? 具体的な「目的」に集中できる時間のことです。 目的というのは、「知識」の習得ではなく、「技能」の習得であるということ。 最近の私の集中できる時間は、もうお年頃のせいか・・午前中でかつ環境が整えば、40分が限界。それ以降は休憩を挟みながら15分。午後はもう集中できなくなる。 My上達へのセオリー5 1. 憧れの存在を持つこと そして徹底的に真似すべし 2. 二つの目標 大きな夢と小さなステップ を設計すること 3. ほんの少しで
ちょっとした記事に出くわし、ふと考える。 「こんなことを言われて私は傷ついてきた」という思い。 振り返ってみる。 自分が、誰かの言葉や行動に傷つけられたとことはあっただろうか? 子供の頃、親に叩かれたことがあったけど、その傷は心にも体にも残っていない。 ごめんなさい、なんて一言も口から出さなかったっけ。生意気な子供だっただけか・・。 幸い、他人に暴力をふるわれた事はない。 誰かの言葉に、腹の立つ事はてんこ盛りにあった。悲しくなることも沢山あった。 落ち込むことがないわけで
楽をしすぎない設定 ってどんなだろうか。 当たり前のことだけど、出来ないことは気持ち良いゾーンの外側にあるわけで。 人間の脳はすぐに怠けたがるものだから、みんなが皆何でも手にできるわけではないのだよね。 脳が怠ける癖を分かった上で、あえて負荷をかけられる人は本当えらい! ただ譜面を弾くだけではなく、ほんのちょっとだけ、練習に負荷をかける。 そんなことはわかっちゃいるんだけど、いつしか慣れてくると負荷を軽くしてしまうのが人間。ジムの筋トレのように、トレーナーの「123・・9あ
大きな夢と 小さなステップを設計 大きな夢といっても、何か壮大なプランである必要はなく、心がちょっと踊るプランを考えてみる。そして、そこへ梯子をかけてあげるのが小さなステップ。 My上達へのセオリー5 1. 憧れの存在を持つこと そして徹底的に真似すべし 2. 二つの目標 大きな夢と小さなステップ を設計すること 3. ほんの少しでいいから、負荷をかけた練習をすること 4. 集中できる時間だけを使うこと 5. 全ての練習にフィードバックがあること ・ただの発表ではなく人
srand.fm でラヂオ始めました!私たちならではの語り口でおすすめ旅を紹介というか、おしゃべり!しています。 私のツアコン時代は遡ること・・2003年〜2014年。10年ほど勤めました。 大好きな仕事で天職だとも思ったけど、その先の10年この仕事をするだろうかと考えた時、自分のミッションとして違う気がしたのだよね。 そして今二胡の道へと進んでいるのだけど、私の人生は二胡奏者として終えたいと思っている。 ツアコン時代が、今の私の成分を大きく占めていて、ずっとこの経験を何
憧れの存在は、大きな前進力をくれている。中々届かないけど、光みたいな存在。そこを目指して飛んでいけば良い。 道を切り開いてきた先駆者達には感謝しかないですね。 My上達へのセオリー5 1. 憧れの存在を持つこと そして徹底的に真似すべし 2. 二つの目標 大きな夢と小さなステップ を設計すること 3. ほんの少しでいいから、負荷をかけた練習をすること 4. 集中できる時間だけを使うこと 5. 全ての練習にフィードバックがあること 1. そして徹底的に真似すべし〜後編〜
楽器が弾けるようになりたい、絵がかけるようになりたい、スポーツが上手になりたい(強くなりたいは、また別のセオリーがあると思うのだけど)、何かを身につける時、共通のセオリーがあると思う。 色々なジャンルの上達本があって、そういうのが好きなこともあって、今までいくつか読んできた。物事の上達への「考え方」の構造をみると共通点は沢山。 要は「人間」の仕組みを利用するということになる 体は、目的によって使う筋肉が違うから、その道のスペシャリストにトレーニングをしてもらうのがいい。バレ
福山雅治さんの「家族になろうよ」を二胡で弾きました。 インストですが、歌詞を譜面に書き込みます。歌詞を歌いながら、ジーンと来ることたびたび、涙が溢れることもたびたび。歌詞も曲も素晴らしいですね。 歌詞をイメージして弾くのって、結構むずかしい。言葉は「愛してる」と言えばその意味を持つ。音で「愛している」という意味を持たすのは今の私にはまだどうすればいいのかわからないけど、その思いをどれだけ深く持つかというのは、伝わるのではないかなと思う。 結婚するって、どういうことだっけ?