見出し画像

2.行け!チドリ号

聖蹟桜ヶ丘から徒歩20分。マムシの出る山の中腹で育った。そんな山の中で、理系バリバリのエンジニアの父親から、他の家とは一味違う育てられ方をされた(ような気がする)。小学校時代、幼稚園の頃から乗っていた僕の自転車チドリ号は、よく言えばなんとも趣きのある悪く言えばかっこの悪い、ザ・子供自転車だった。サドルは硬くて痛い、ギアなんてもちろんない、まぁ、こげばこぐだけ、例えば遠くのおばあちゃんの家まででも、どこまでも走れるような気がしていた夢のようなコケティッシュ(使い方あってるのか…)な乗り物だった。(褒めているのか、けなしているのか…)

小学校3年生(1978年か…。時が過ぎたな…)の時、世の中のスーパーカーブームにのっとって、自転車にもパカッと開くスーパーカーライトなるものが搭載されたものが登場、ギアも5段変速で、立ちこぎすれば時速100km/hまで一気到達する(訳ないのだが、ぼくにとってはそれくらいの憧れのマシン)夢のような自転車だった。「あれが手に入ったら僕はどんなに幸せなんだろうか」と夜寝るとき、2段ベッドの暗い下の段(年子の姉に、上は占領されていた)で目を閉じて、あの自転車に乗った自分を妄想し、それはそれは悶えた(⁉︎)ものであった。

いい自転車に乗りたい。その理由はもう一つあった。小学校4年5年6年生から、毎年秋におまわりさんが来て開催されるの交通安全教室に、選抜された数名の生徒のみが自転車で登校して校庭に作ったコースを走行できるという催しがあったのだ。当時の生徒会長がそのスーパーカーライトの自転車に乗りおまわりさんと並走する姿をみてかっこいいやら悔しいやら。ついに来年、そのエントリーチャンスが訪れるのである。

というわけで新しい自転車をゲットするために父親に相談をする。
帰宅後の親父の顔色をうかがう。機嫌の良さそうなタイミングを狙い、少年は全力で放つ。


「相談があるんだ」
「なんだ?」
「自転車が欲しいんだ」
「チドリ号があるじゃないか…」
「あれは幼稚園から乗ってるからそろそろ小さいんだ」
「…そうか。お前、来年も欲しいか?」
「?」
「来年の今日までその気持ちが変わらなかったら買ってやる」
「…」


欲しいもの?すぐ手に入ると思うな。いつもこれが親父の教えであった。


友達は続々新車に乗り換えている。スーパーカーライトはおろか、電池式のウインカーやスピードメーターのついている奴もある。「僕は買ってもらえない。僕だけ買ってもらえない」小さなチドリ号に乗り、仲間から置いてきぼりを食った悲しい気持ちを背負ったまま、僕は2段ベッドの暗い下の段で毎夜毎夜、妄想にふけるのであった。
そして1年後、ついにその日が訪れるのである。

<3へ続く>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?