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1.蝉時雨
自宅マンションの廊下でひっくり返っているセミによく逢う。
彼らはバランスが悪く、一度ひっくり返ると羽をバタバタさせなければ起きあがることができない。くそ暑い廊下でのひっくり返りは、彼に「あきらめ」を与えてしまう。気持ちよさそうに寝ているようにも見える。
ところが世の中、そんなに甘いものではない。
そんな彼を見つけると僕は、おなかに車のカギをそっとかざすのである。
(指ではやらない。理由は簡単、何かあったら怖いから。悪しからず)
彼は、おなかにモノをかざすとにゅっと掴まる習性がある(はず)。
掴まったらそのカギを拾い上げ、空にポーンと振り上げるのである。
そうすると迷惑そうに飛んでいくのである。
せめて木のあるほうへ向かいなさい。頑張ったんだから、逆さでいいから木影でそっと眠りなさい。
マンションの廊下で子供にでも踏まれたら可哀想である。
今日、それをやったらマンションの1階までカギ束が飛んでった。
(経年劣化?!で握力が落ちているのだろうか…)
下にいて水を撒いていた管理人さんに当たらなくてよかった。
「落とした?」「はい。すみません。(厳密には投げたようなものだが…)」
(余談だが、水を撒いても涼しくはならない。視覚的要素が強いだけである。多分。あ、文句ではない)
取りに行ったら、カギにくっつけていた、大事にしている、みちまるくんの小さなぬいぐるみが少し濡れた。
先日の雨で夜中でも鳴いていたセミの声がしなくなった。代わりに今は鈴虫が鳴いている。
こうして夏が終わる。いつもと違う不思議な夏が過ぎてゆく。