思考の振り返り

常に思考を巡らしいている。

24時間365日、
頭を巡るものが何もない時間は、寝ているとき以外、
一瞬たりともない。

そんなだから、常に考える内容は変遷している。

3年前に考えていたことをnoteの記録で読み返したり、小中学生の頃に書かされた作文なんぞを読み返すにつけ、その当時の自分の考えに恥ずかしさを覚えるのである。

割合に勝せたガキだった自分であるので、
そして頑固であるので、
昔の自分の考えでも、今見ても、やはりその通りだと思うことは多い。

それでも、恥ずかしいのである。

思うに、それは無防備だからだ。
過去の自分が何を考え、何を思っていたのかを記録に残してしまうと、それがこの地球上の事実として残ってしまい、もはや変えようがない。

しかし、頭の中で温めているだけなら、何の証拠も残らないし、いくらでも改変できる。
その当時私はこう思っていた、と思い込めばよいだけだ。
記録になってしまうと、誤魔化しが利かぬ。

あどけなく幼稚で未熟な思考の跡が、無防備にも晒されているのだ。それが己のものであれば、恥ずかしくて当然である。

あどけなくとも未熟でもなく、今見ても納得のいく思考だったとしても、改変が利かないというだけで、無防備であるというだけで、恥ずかしさを感じるのには十分である。
もし、自分以外の誰かの目に触れることあらば、いかに完成された思考であろうと、その彼もそう思ってくれるとは限らない。

改変が利かないだけに、言い訳が利かない。

恥ずかしいのである。

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