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公務員とAI(どうなる、安定)①

公務員に関するネット記事は本当に多い。

星の数ほどある。嫌になる、掃いて捨てるほど多い。しかも、その多くが、よく知りもしないで書かれた眉唾情報である。巨大マスコミ企業が出す記事でさえ、懲戒免職と分限免職の違いすらわかっていなかったりする。

そこで、現職の大都市職員(地方公務員)である私が、少なくとも経験上明らかであることや、調査して明らかにしたことを基に、事実をご紹介したい。せめて、荒ぶるネットの海から小記事を発掘いただいたあなたには、曇りのない真実を知っていただきたい。というわけで、実情報とともに、個人的な感覚から予想する公務員とAIの未来について、語らせていただこう。


さて、AIが発達することで、公務員は職を失うことがあるのだろうか。

答えは、「無い。」

AIにもできない、人にしかできない仕事があるから、というのはよく聞く話。しかしそれ以外にも、大きな理由がある。

・人を雇用することでこそ、経済が回る

時々、大企業が地方に事業所を作るというプレスリリースがあると、「雇用を作ることでこの地域に貢献したい」という話がある。まさしくこれである。当然、仕事のできる優秀な人材を確保したいし、出来ることならば全ての社員がそうあって欲しい、とあらゆる経営者は思ったことがあるはずだ。しかし、人を雇うということには、給料を得る人間を増やし、消費者を増やし、経済を回す力を付けるという実に公益的側面がある。

最近、氷河期世代や新型コロナで職を失った人を役所が採用するという話をよく耳にするだろう。なにも新しい仕事が発生して人員を増やす必要に迫られて採用するわけではない。そういう面も無きにしも非ずだが、それよりも救済措置、経済対策としての性格が強い。

狭い町はもちろん、国も、お金を持っている人が物やサービスを買い、別の人にお金を回していくことで経済は成り立っている。経済格差が問題なのは、一部の人が多くの金を懐にとどめていては、必要なところに必要なお金が行き届かなくなるからである。必要なところにお金が行き届かず、優秀な者のみが居る地域だけにお金が集中すると、憲法で定められた好きな職に就く自由も好きな場所に住む自由も、ひいては生きる自由も保障できなくなる。既に、夕張市などの小規模自治体では、ごく最低限の行政サービスしか受けられないうえ、職業の選択肢はほとんど無い。ある意味で、現時点でも憲法のいう経済の自由は保障されていないと言えよう。

だから、人を雇い、給料を渡すということそのものに意味がある。特に「公務員」という、ある程度の社会的地位があって、ある程度の金を持っている人、という存在が地域には必要不可欠なのである。

かなりの田舎だと、公務員が自営以外で最も稼げる労働者だったりする。本来は公務員が一番であってはならない。民間人こそ、国家の資本主義システムの先頭に立ち、稼がなければ経済は発展しない。つまり公務員が一番稼げる、というのは異常事態であるが、現実は厳しい。
人の少ない場所では企業活動がままならず、 ネットで仕事をしている人と公務員だけが全国平均的な収入を得ている、という地域は実際にある。

ある程度の収入を得られる仕事がなければ、若者はその町には留まらない。移住者も来ない。

裁判所も、「仕事が出来ないヤツ」をクビにすることは認めない。公務員に対する分限免職が取り消されたという事案でも、いくつか最高裁判例がある。それだけ人が雇用されていること自体に大きな意味があるのである。AIによって多少仕事に余裕ができたというだけで、多くの人員が減らされることはない。あるとしても採用が減るだけで、現員を辞めさせることは出来ない。

むしろ、仕事は増える可能性すらある。今でさえ、ほとんどの自治体で人口が減る中、公務員の仕事は増えているのである。法定ではない業務まで、「住民ニーズの高まり」ということで増え続けている。コロナ禍の昨今、首相が打ち出した10万円給付やGoToキャンペーンは、いずれも法定の必須業務ではない。つまり、極端に言えばやらなくてもよい仕事である。

さらに、今後はどんどん災害が増えることが確実視されている。災害対応のリーダーは公務員である。災害が起こった時はもちろん、いかに災害に強い町や国を作るか、政策を立案するのも公務員である。

AIで通常業務が楽になれば、そうした非法定の業務や未知の事案に対する政策の立案などを行う余裕ができる。人は、ある技術を生み出して人の仕事がなくなっても、浮いた人員は別の新たな仕事に就けてきた。それが歴史である。AIという空前の新技術も、同じことだ。

・国家公務員法と地方公務員法で、身分保障を受けている。

公務員法の規定は非常に重い。国家地方いずれでも、公務員は「勤務成績不良」「心身の故障」「非行」「予算が無いこと」以外で意に反して免職されることはない。

この勤務成績不良とは、一般的に仕事が出来ないと言われる人がクビになるということではない。この規定に基づいた分限免職では大阪市が有名だが、それでも、実際に免職になったのは「上司に繰り返し反抗する」「(例えば)コピーを取ってこいという簡単な指示さえこなせない」という大人として最低限の振る舞いさえできない人であった。

どうしようも無い病気ならば辞めざるを得ないが、それでも最大3年は療養できる。

非行は当然、しなければいいだけのこと。普通に暮らしていればこれには当たらない。交通事故で人を死亡させてしまったとしても、悪質性が高くなければ免職にはならない。

財政破綻で有名なあの夕張市でさえ、財政破綻・予算の枯渇を理由とした分限免職は一切行わなかった。(極端な給与カットによる強硬な退職圧力は掛けたものの、正式な免職は無い。強く働き続けることを希望した者は残ったのである。)

解体された社会保険庁も、日本年金機構に改組されるに当たって分限免職を行ったが、それは処分歴がある者等ごく一部であり、ほとんどは引き続き採用された。

さらに繰り返すが、最近盛り上りを見せる氷河期世代採用も、公務員が職を失わないことの証と言えるだろう。
1966年度~1985年度生まれまでの人を氷河期世代と呼ぶそうだが、彼らを官が雇うと言い出したのは、公務員は職を失わないからである。
これまで2~30年に渡って職業人生で虐げられてきた人々を、公務員として正規採用し、この先の人生を安心して暮らしてもらおう、という試みである。正直言って、職務遂行能力に期待したものではなく、公務員の身分保障を積極的に利用させるためのものである。

彼らは若ければ30代半ば。その人をこの先30年、今後さらに定年延長が続き、長くなれば40年ほど雇い続けるという覚悟を示した、ということになる。
頭の良い財務省や経産省の官僚が、AIの発展と公務員の雇用の関係を意識していないはずがない。
しかし、意識したうえで、AIが仕事の多くを奪っても、公務員という「職」の安定性は変えない、と想定したから、氷河期世代採用のゴーサインが出たと考えるべきである。

つまり、そこに人が居る限り、国に人が居る限り、公務員は職を失わない。


これら2つの理由から、この先も公務員としての職は安泰であると考えられる。職が安泰であるからといって、給与も安定して増え続けるとは限らないし、公務員が向上心を失くしては国は沈むが、少なくとも、失業する不安を抱えながら仕事をする必要は無い。

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