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君たち女の子、僕たち男の子。おいで、遊ぼう♪みたいなのあったよね?

Barbie観た。週末のお楽しみ。
暗転の中、ワクワクしながらオープニングを待ってたら、最初のシーンで声を出して笑っちゃった。いいねー、すごくいい。期待大。
今回も夜の最後の上映だったので、会場内は5人くらい。
家で見てるみたいに見れるから、思わず、笑いっぱなし。

映画や音楽や男の人や女の人の、ギャグや悲哀が全編にバランス良く盛り込まれてて、退屈しなかった。
ザック・スナイダー版ジャスティス・リーグとか、言っちゃうんだって感じ。

男らしさみたいなことの引き金が馬っていうのもいいし、馬じゃないってわかったら、実はどうでも良くなったっていうケンのセリフもナイス。
男の子が戦闘好きとは言いたくないけれど、本当の戦争もあの程度だったらいいのに。

バービーランドがあって、ローラーブレードきっかけでそこに行けるっていうのも最高に素敵。

今のリカちゃん人形は知らないけれど、私が子供の頃のリカちゃんは、私からしたら、頭がデカくて6-7頭身くらいで子供っぽい体型をしてたから、買ってもらっても気に入らなかった。その当時一緒に売られてたいづみちゃん人形の方がまだタイプだった。

だから、すぐに髪の毛を切ったり変な落書きしたりして、リカちゃんハウスとかと一緒に部屋の隅に放置していた。
若干大人っぽかったいづみちゃんも残念ながらご一緒してもらった。

でも、親戚のおじさんからバービー人形をもらった時の衝撃は今でも覚えている。
そう、これこれ、このバランスよ。かっこいい!って思って、それからいろんなバービーを買ってもらった。

リカちゃんを引っ張り出してきて、横に並べて、この差はなんなんだ?どうしてこんなにリカちゃんは主体性がなく見えるんだと思ったものだ。
リカちゃんは人間の女の子のおもちゃであり、付属品であり、靴も洋服も子供っぽいデザインが多くて、憧れる要素が少なかった。(リカちゃんファンの方、本当にごめんなさい。)

でも、バービーはバービーとしてそこにいる感じがして、洋服とか靴のデザインもオシャレだと思ったし、こんな服や靴、着たい!と思わせてくれた。
あんまりそういうこと言うのいけないんだろうけど、その頃はそう思ったんだから仕方ない。返す返す、人それぞれってことで、お許し願いたい。

もちろんケンも持ってたよ。
でも、映画通り。
バービーのお洋服やアイテムはあふれるほど増えていくのに、お洋服も2-3着で適当に半ズボン履かせてたし、ケンはバービーのバッグとか靴とかと同じアイテム扱いだった。
取り替えっこしながら、バービーの横に時々並べるアクセサリー感覚。

そこに、男の子とか女の子とかの概念はなくて、まさに、バービーとケンっていうだけ。
だから、あの映画を見てやっぱりそういう感じでいいのねー、みんなそう思って遊んでたんだよねーと再確認。

あの映画でバービーの足が平らになるシーンが強調されてるけれど、あれは良くわかる。高いヒールの靴のデザインだから脱がせてもいつもつま先立ちで、子供ながらに辛そうだなあと思ったりしてた。
でも、あのヒールのバランスがかっこいいと思ってた。最近はあんまり履かなくなったけど、そういう形の靴、今でも好きだし、捨てれないものの一つ。

女の子に夢と希望を与える存在っていうの、別にその通りでいいじゃんと思う。
「バービーのスタイルやなんかが私たちを苦しめる」みたいに怒っちゃう、アグリーベティの娘の気持ちもわかるけど(イヤ、本当はわからない)そんなこと言ったって、バービーと自分は別もんなんだから、比べるっていうのがそもそもおかしいし、人形だから。
女の子はこうあるべきっていうのを示してるのは、バービーじゃなくて、バービーを見たあなたの心。
バービーはそんなこと言ってないし、多分、誰もそんなこと言ってない。
別に自分で、好き嫌い、やるかやらないを決めれば済むだけのこと。
おんなじ持つなら、かっこいい方がいいし、そう思わないなら持たなきゃいい。

そう、見ていて、アグリーベティのベティがそのままお母さんになった気もした。
あのドラマの中でのベティの人生と性格を思い出すと、バービーたちに演説して洗脳から脱却させるシーンが、あーベティが言いそうな事じゃんと思った。

ケンももうちょっとあそんであげればよかったな、とは思うけど、基本女の子の遊び道具だから、バービーのお友達っていうだけで、ケンの遊ばせ方なんてよくわからなかったんだよね。そんで、いまいちタイプじゃなかったんだもの。あっ、ごめん。

最後のシーン。
私はてっきりベティや娘があんなに応援して送り出してるから、バービーが人間社会で生きていくために、仕事の面接かなんかに行くのかと思った。

次の瞬間、ほんと、私ってなんてつまらない人間なんだと思わされた。
婦人科検診。
やられた。秀逸。
そしてその後、嬉しく思った。
バービーはそこから始める。あんなに緊張して、あんなに誇らしげに。
でも、私は人間の女の人として、ありがたいことに生まれた時から、とりあえずそこはクリアしてる。

ってことは、それだけでも、捨てたもんじゃないんじゃん!
バービーは今の私に、改めて自信と夢を与えてくれた。

あのバス停で出会った美しいおばあちゃんになるために。

真面目に話すと難しかったり面倒だったり、時と場合と人間の種類によっては喧嘩になりそうなテーマが入ってるのに、明るく楽しく、時にはおセンチに、バービーやケンの感情表現が、感じるままに純粋でストレートだから、楽しんだり共感したりしながらこっちまで素直に見ることができた。
遠い昔、キュートな女の子だった気がする人も、十分俺は大人の男だって思ってる人も見て、楽しめると思うよ。





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