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遠くから見てる事しかできないけれど、すごく愛しいと思っているよ。

日曜日、またもや性懲りもなくどうしても見たくて、翡翠を探しに行った。
翡翠は同じ場所をテリトリーにして、繰り返しやってくると教えてもらったので、カメラを持って待ち伏せしてみる事にした。
普通は堪え性のない性格なのに、こういう時はなぜだか我慢強く、根性さえ発揮できる。
欲しいものとか、見たいものとかに貪欲なのかも。

でも、やっぱり自然相手だから、なかなかいない。
うろうろして、スタバでコーヒーをボトルに入れてもらって、そしてまたウロウロ。
天気もいいし楽しいんだけど、翡翠に会いたくて気がせいて落ち着かない。

夜は映画を見に行くつもりだから、6時くらいには撤退しないと間に合わない。
あーあ、今日も会えなかったなと思って、ベンチに座っていたら、川の反対側の岸辺で何かが動いた様な気がした。
いかんせん目が悪いから、動いた様な気がしただけなのかもと思いながら、カメラの望遠で覗いてとりあえずシャッターを切ってみた。
モニターで確認してみると、やっぱりなんか枯れた草の塊だった。
にゃあぁぁ、そんな事さ。

しかーし、ちょっと待って、そのずーっと左の方になんか写ってる!

中央あたりに目が悪い私が合わせた枯れ草。
でも、左の方に何か青っぽいオレンジっぽいものが!

焦りまくって、もう一度その辺りを写してみた。

いる!いるでしょ?今度は真ん中に!

ものすごく慌てたものだから、今見るとちょっと明るくしすぎてるし、私が持ってるズームレンズではこれが精一杯。
おおっ!でも写ってる。翡翠さんがいる!

興奮しまくって、いなくなっちゃったら嫌だから何枚も写した。

写している時にお魚を捕獲する姿も見られたのに、そんなの写せるわけもなく、アタアタしているうちに飛んでいってしまった。
なんか、今どうなったんだ?ちゃんと写ったのか?

バスに乗って映画館に行く間も、確かにモニターでは写ってるの確認したけれど、もしもなにかあってデータが消えたりしたらどうしようとか、訳のわからないドキドキになって、妙に落ち着きがなくなってしまった。
あんな気持ちになるとは。
一日たって、人ごとの様に言うけれど、よっぽど嬉しかったんだ。

でも、ご覧の通り「なんて躍動感のある翡翠だ!」とか「美しい羽がよく写っていますね」的な写真ではなかったけれど、私にとっては憧れの翡翠さんとの2度目の出会いなので、これはこれで大満足なのだ。

お魚を真剣に見てる感じ。
水面に映った姿も愛らしい。

感動。
どうにもこうにも、これだけでもなぜか感動。
だって、出会う事のない2人が出会って、恋に落ちたっていうのはきっとこういう感じなんだなあって思わせてくれてるんだもの。あっ、片想いだけど。

憧れの君を遠くから見つめてるよ。
こんな事、人間の世界ではあり得なかった事なのに、ありがとう翡翠さん。
初めての経験だよ。

あー、ほんとに、嬉しい。
でも、また会いにいこう。今度はなんとかしてもっといい感じに写してあげたい。
可愛いなあ。

映画館がある場所について、夕ご飯の韓国料理を食べて、カフェでちょっと休憩して上映会場に入った。

この間The Creatorを見たから、今日はKILLERS OF THE FLOWER MOONを見た。反対にすれば良かった。
今日、The Creatorにすれば良かった。

SF好きの私はThe Creatorを見て、純粋に感動した。映像にも音楽にもそれぞれのキャラクターにも、ラストの希望の笑顔にも。
何百年も先の未来を描くとしたら、それこそやりたい放題の醍醐味がある。
だけど、現代に近い未来をSFで描くのは難しいと思っているから、それだけでもよくやった!と思う。正直泣いちゃったよ。いいじゃん。

スコセッシさん、出ちゃってた。
1920年くらいの人間って、あれくらいの道徳感しかなかったんだろうか。
って、みんなをそんな風だったと思っちゃダメか。
インディアンの歴史も、インディアンの人達も、それに群がる白人達も、それぞれがみんな悲しく見えて、それを遠くから眺めている感じがして、物語の中に入っていけなかった。
スコセッシの目を通して見た、ある、歴史の一端。
そして、その映画を目にした私に、ラストのシーンのあの観客達と同じ様に「こんな史実を元にした歴史物見ても、こんな感じで見てるでしょ?」って言われてるようで居心地が悪かった。音楽は好きだった。

うん。
昨日の夜がThe Creatorの方が良かったな。
日にちが変わった夜中の道をてくてく歩きながら、そう思った。

今朝は流石にちょっと疲れてた。
そりゃそうだよね。

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